にかぶれて常用して居た事があり、最近ではとんと顧ず壊れ箪笥の曳出《ひきだし》にでも蔵《しま》い込んで、其の儘房枝の処置に委せて居た事実を思い出したのであります。私の眼は再び執拗に障子の隙間に吸い付かなければなりませんでした[#「なりませんでした」に傍点]。室内のおふささんは最早や南京豆を噛じる事は止めて、小楊子をせせり乍ら敷島か朝日の口付煙草の煙を至極婀娜っぽい手付唇付で吹き出して居ましたが、何かの拍子に居住《いずま》いを[#「居住《いずま》いを」は底本では「居住《いずまい》いを」]組み直した瞬間――彼女の全貌を真正面から眺める事が出来ました。嗚呼、閣下よ、其のおふささんは、瓜二つ以上、双生児《ふたご》以上の、※[#「女+尾」、第3水準1−15−81]《くど》いようですが、――カフェ時代の房枝では有りませんか? 而《そ》して更に私の疑惑を深めた所作と言うのは、暫らく凝乎《じっと》彼女を瞶《みつ》め続けて居ると彼女は時折眼鏡の懸具合が気になるらしく真白い指先で眼鏡の柄を弄《いじ》くるのでありますが、――それは間違い無く眼鏡の故障を立証する所作であって、私の眼鏡も大分以前に其の柄が折れ掛った儘放置してあったので有ります。閣下は又しても、ふふん、救い難き関係妄想じゃ、とお嘲笑いに成るかも知れません。従って茲《ここ》で、如何に私の衝動《ショック》が烈しいものであったかを説明申したとて無駄で有りましょう。私は其の宿に来た目的も打ち忘れて、不可解な一致に茫然自失した儘、襖が開いて男が現われ、どうぞお上りを、と掛けた言葉を夢の様な気持ちで聞いて居りました。一旦否定した疑惑が眼鏡を認めるに及んで更に深まったのであります。万が一に、其の女[#「其の女」に傍点]が私の女房であるとして、何の目的を以て夜半淫売宿なぞに姿を現わして居るので有りましょうか?――閣下よ、※[#始め二重括弧、1−2−54]私の悲劇※[#終わり二重括弧、1−2−55]は右の如き一夜に其の不気味な序幕を開けたのであります。干涸《ひから》び切った醜女があんなにも水々しい妖艶な女と変じ、貞淑一途の女が亭主に隠れた淫売婦であろうとは?――此の世にこんな不可思議な事実[#「事実」に傍点]が有り得るであろうか? 私は自分が正気である事を確信する為に、一歩一歩脚に力を入れて案内をされた二階への階段を登って行きました。……
相
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