あの方々は、私のことをご存じであったのでございましょう。――さては、話に聞いていたのは、この娘さんのことでもあろうか、真実《ほんとう》にわたしによく似た方もあるもの、この人なれば、仲間うちのものが、下町風に身を※[#「にんべん+峭のつくり」、第4水準2−1−52]《やつ》した自分とも思い違えて、こちらの袖に物をかくすほどのことは無理からぬこと、さぞや、おかえりになって、立派な指差がころげ落ち、驚かれたことでもあろう。こんなことをも、お考えになったでございましょう。それと同時に、あのような――私をご自分の傀儡《かいらい》にして、御隠居さまともどもに港の街をはなれさせ、お上の注意をそちらへむけた内に大きなお仕事をなさる計画も、おたてになったのでございましょう。御隠居さまや、お千代さまがお考えになりましたように、お上の方は、御隠居さまにつれられた私を、ほんもののお千代さまとお考えになったのでございましょう。それがために、わざわざあの遠い湯の町まで、後を追ってお越しになり、私たちの様子を見まもっていられたのです。しかし、これはお二人さまの予期されていましたこと、それでこそ、必要な場合には――犯罪の行われました当時、千代とわたくしは、あの湯の町にいたのに相違ございません、私たちを監視なされていたお役人さまがご証明くださるでございましょう――と、いったことがいい得る訳でございました。
 お千代さまのお仕事が、難なく運んでおりますれば、ああした手違いも起こらなかったでございましょう。が、もくろんだお仕事に失敗なされましたことと、その報告のため、私たちの宿に姿をお見せになったことが、すべてに破綻《はたん》をきたしたのでございましょう。よい頃を見はからって、私とお千代さまを入れかえるために、二組をおつくりになり、その一つをわたくしに下さった、あの立派な衣裳も、結果は、ただ、私を驚かせるに役立つにすぎないのでございます――わたくしの、夜の静寂《しじま》を破った叫び声、それが、すべての終りであったのでございました。かけつけられた、お上の方――あの、お庭そうじの男衆に姿をやつしていられました警察の方も、初めのうちは、さぞ、
常※[#歌記号、1−3−28]こちらにもおくみさん。こちらにもお組さん。こりゃまあ、どうじゃ。
 という唄の文句にございますように、仰天なさったことでございましょう。それにいたしましても、時おり、三味線とり上げ、常磐津『両面月姿絵』なぞ、おさらいいたしますとき、
 ※[#歌記号、1−3−28]奈良坂やさゆり姫百合にりん咲き
 と、思わず唄いすぎましては――もし、わたくしを、このさゆりにでもたとえていただけば、あの姫百合にも見まほしい、いま一人の私、お千代さまは、いまは、どうしていられることやら、と、かようなことを、つい思い浮べては、三味ひく手をしばし止め、あらぬ方をじっとみつめるのでございます。
[#地付き](一九三六年十二月号)



底本:「「ぷろふいる」傑作選 幻の探偵雑誌1」ミステリー文学資料館・編、光文社文庫、光文社
   2000(平成12)年3月20日初版1刷発行
初出:「ぷろふいる」
   1936(昭和11)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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