古は私がいたしていたのでございます。その内に、何時《いつ》の間にか、母親は楽隠居、そして、私が全部お稽古をいたす様になったのでございました。しかし、何分にも、お稽古人はほとんど全部がお子供衆、月々の収入はたいした事もございませんでしたが、それにいたしましてもお子供がたのお稽古人は、いつも十四、五人もございましたので、私たち親娘は、ごく気楽に暮していたのでございます。
丁度、私がお稽古をする様になりましてから、半年あまりも経った頃でございましたでしょうか、私は、あの恐怖にも似た気もちを、今だに、忘れることが出来ないのでございます。それは、お稽古やすみの、ある霧の深い午後でございました。その二、三日も前から、お天気は、毎日のようにどんよりと曇って、低くたれ下った陰鬱な空が、私たちの頭を狂わさずにはおかない、というほどに、いつまでも、何時までも、じっと、気味悪く、地上の総《すべ》てを覆《おお》いかぶせていたのでございました。ところが、その日の、お昼すぎからは、思いもかけぬ濃霧が、この港の街を襲うて参ったのでございました。まだ、日は高いのでございますが、重くるしく、ずっしりと、空いっぱいに、たれこめた鼠色《ねずみいろ》の雲の堆積から、さながら、にじみ出るかのように、濃い、乳色の気体《きたい》が立ちならんだ人家の上を、通りの中を、徐々に、流れはじめたのでございました。私は、その頃、少しばかり買物がございましたので、三《さん》の宮《みや》の『でぱあと』まで出むいていたのでございます。買物と申しましても、別に、あの辺りまでわざわざ行かねばならぬ訳もなかったのでございますが、今になって考えますれば、たとえ、何の理由がなくとも、あの日、ああした場所まで、出かけるように、前の世から定められていたのでもございましょうか。……私は、『でぱあと』で、新柄の京染や、帯地の陳列を見せて頂き、かえりには、お母さんのお好きな金つば[#「金つば」に傍点]でも買ってあげましょう――と、かように考えまして、参ったので、ございました。
あのような日和《ひより》でございましたので、さすがに、繁華街にある、『でぱあと』の中も、人はまばらでございました。私は、まず、八階まで昇り、京染と帯地の陳列を見せて頂き、それから、七階、六階と歩いては、階段から降りて行ったのでございます。階段に面した側は、丁度、山手と
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