所車を弾きまして、御隠居さまは、小さな声でおうたいになりながら、
「ねえ、千代ちゃん、あなたに教わって、すっかり上手になったでございましょう」
と、静かに、お笑いになるのでございました。
御隠居さまは、いつも私を、千代ちゃん、千代ちゃんと、それはそれは、親身の伯母であっても、こうまではいって下さるまい、してくださるまい、と思うほど、私を大切にして下さいました。私も心から伯母さまと呼びまして、部屋の女中までが、
「ほんに、お睦《むつま》じいことで、お羨ましく存じます」
と、一度ならず、二度までも、私達を前にして、さも、うらやましげに、申した程でございました。
四
私たちのお部屋は、静かな離れ座敷でございまして、三方には中庭を控え、夜なぞ、本館の方から洩れてくる部屋部屋の火影《ほかげ》が、植込の間にちらちらと見えるかと思えば、庭の木立の上からは、まっ白いお月さまが、そっと、のぞき込むのでございました。――のぞきこむ、と申しますれば、私たちのお部屋は、いま申しましたように、ほとんど中庭にあるのでございますから、お部屋の障子《しょうじ》を明けておりますれば、時折、お庭掃除の男衆が、箒《ほうき》や熊手などを手に、そっと頭を下げて通りすぎるようなことは、別に不思議でもないのでございますが、そうした下男のお一人に、いかにも、何か目的あるかのように、そっと、お部屋をのぞいては通りすぎるお方があったのでございます。顔をなるべく、見せないようにしていられますものの、どこかでお目にかかったような気がいたしまして仕方なかったのでございました。
「たしかに、どこかでお目にかかった方」
私は、かように、考えつづけて、おりましたが、ふと、思い出すと、
「おお、そう」
と、御隠居さまの方に向き直り、声を低めて、
「伯母さま。今、通って行きました、男衆に、お気づきになりましたか、あの人は、私たちが、出帆《しゅっぱん》いたします時、伯母さまと話していられた、ご親類の方に、そっくりでございます」
と、こんなに申しまして、口の中で、いくら似ているとは言え、あれほど、似ている方があろうことか、と独白いたしました。が、それと同時に、長い間、すっかり忘れておりました、あの私自身の姿を思い出しまして、思わず、ぞっとしたのでございました。御隠居は、
「そうでございますか、そんなに、あの
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