娘道成寺の開幕時間は、さしせまっておりました。医師の手当によりまして、師匠の癪も、いいあんばいに納ったようでございました。しかし、そうと申しましても、あと数分の後にさしせまった、所作事の舞台に出られる筈もございません。そうした訳で、私が師匠の替りに、立三味線を弾かせて頂くことになったので御座いました。

 私が、自分の部屋を出ます時にも、師匠の三味線と撥は私が置いた通り、床の間に御座いました。しかし、この撥を、若し、誰かが、私の出た後で持ち去ったといたしますれば、それは、一座の方か、私たち、鳴物連中の中《うち》の誰かに相違ございますまい――それと申しますのも、私の部屋へ参ります迄には、幾つもの楽屋部屋の前を通りますので、見なれないお方でございますれば、すぐに、誰かが、胡散《うさん》くさい人が通る――という風に、注意し、後をもつけるでございましょうから。それに、あの、私の楽屋部屋は、外側が小屋の裏通りになってはおりますものの、窓が一つしか御座いませず、その窓には、人の頭もはいらないほどな棒頭がはまっておりますので、そうしたところから、外来の人が侵入しあの撥をもち去ったとも考えられないのでございます。しかし、いずれにもいたせ、新次師匠が申されておりますように、誰かが、あの撥で、白拍子に扮した半四郎さまを、鐘の中で襲うた、といたしましても、その方法はどう説明されるのでございましょうか。師匠が指摘されておりますように、舞台に降りている、造りものの鐘を傷つけないで、その中へ、ああしたものを投げ込む――こうしたことが、どうして可能でございましょう。ご存じになります様に、鐘の頂上には、七八寸ほどな丸さの空気ぬきがございます。しかし、それにいたしましても、舞台の横から投げた撥が、どうして、あの穴からはいり、内部の人を傷つけることが出来るでございましょう。――たとえ、舞台の天井から、その空気ぬきの穴をねらって投げこんだといたしましても、それでは、どうして、被害者の前額部に傷がつくでございましょう。それに、投げられた撥が、小屋いっぱいに溢れた見物衆の、誰の目にもとまらないというようなことがございましょうか」

        |○|[#「|○|」は縦中横]

 このお二方の次には、岩井半四郎の後見をお勤めになりました、一座の名見崎東三郎が、取調べをおうけになったのでございました。このひとの陳述は、次のようであったそうでございます。
 私は、もう十数年間も、師匠、岩井半四郎の後見を勤めている男で御座います。私には、師匠を殺害せねばならぬ理由はございません。恐らく、師匠は、誰にも殺される理由はないと存じます。しかし、それと同様に、誰にでも殺される理由をも持っていらっしゃる方で御座いました。こうした私の言葉は、変に聞えるかも存じません。しかし、あの人を人とも思わぬ、傲慢な、半四郎師匠に、芸を離れて、好感をもっていた人が、この世に幾人ございましょう。あの方に、あの芸がなかったなれば、あの不遜な態度だけでも、十分に、殺意をさえ起させるほどで御座います。これは、私が、誇張して申上げる言葉では御座いませぬ。
 こうしたことを申上げるまでもなく、御存じでございましょうが、後見は踊られる方のために、総てを捧げなければならないのでございます。これと同様に、踊られる方にいたしましても、後見に同情なしに踊る訳にも行かないのでございます。――踊り手と、後見とが一つになりまして、影の形に添うようにしなければならないのでございます。半四郎師匠も、勿論、こうしたことは御存じでございますし、何分にも、名人として、自他ともに許されているほどのお方でございますから、気苦労いたしながらも、楽々と働けまして、大変に楽な後見ではございましたものの、ああした舞台でも、人を人と思わぬ傲慢さが、随時に現われまして、踊りの手を、自分勝手におかえになるほどのことは、常時でございまして、時としては、今日の見物は気に食わぬ――というような、自我な理由で、勝手に所作を中途で切り上げ、道成寺でございますれば、白拍子の鐘入りもせずに、長唄、お囃子連中の呆気にとられた目なざしを尻目に、幕にされたようなことも、度々あったのでございます。
 半四郎師匠の踊りは、いつもと同じような調子で経過いたしました。ご機嫌も、いつもの通り、別に、よくも、悪くもございませんでした。しかし、私は、これを不思議に考えているので御座いますが、踊りが初まりまして、しばらくすると、師匠の様子が変って来たことでございました。何と申したらよいでございましょう――いわば、怨霊にでも取りつかれた人のような様子がございました。舞の合間あいまに、上を見たり、横を見たり、なさいまして、額には、たしかに、脂汗がにじんでおりました。顔色もすっかり、蒼白になりまして、ともすれば、三味線と離ればなれにもなりそうで御座いました。しかし、さすがに、踊りにかけては名人と申すのでございましょうか、そうしたことも、巧みに、手振り、足ふみに紛らわされ、お気づきになった方は、一座の内、座方の中にも、幾人もございますまい。それに、三味線から、ともすれば、離れようといたしますのも、ある方々は、それを、立三味線を弾いていらっしゃる、新三郎さんの罪にし、一のお弟子さんといいながらも、やはり、師匠の新次さんでないと、岩井半四郎の糸は出来ない――なぞと、知ったか振りをなさる通人もあったようでございました。
 半四郎師匠の異様な興奮は、唄が進みますとともに、ますます烈しくなって参りまして、踊りの中で、こうしたことがあったのでございます。それは、鐘に恨み――の文句の終りに
 ※[#歌記号、1−3−28]|真如《しんにょ》の月を眺め明かさん
 と、いう歌詞がございますが、ここで、白拍子が冠っている金烏帽子を、手にもつ、中啓《ちゅうけい》で跳ね上げるところがございます。ところが、この前後で、踊っていらっしゃる半四郎師匠が、
「綱に……綱に……」
 と、二たこと申されたのでございました。物の怪につかれた人の譫言《うわごと》とも、気狂いの独白とも感じられるような声でございました。しかし、後見の私にしてみますれば、これは、何か自分に云っていらっしゃることに違いない――と考えたのでございます。勿論のこと、そうであったのかも存じません。私は、また、いつもの、我意から踊りをいい加減に切り上げるか――または、踊りの一部を勝手にお変えになるについての私への注意に相違ないと考えたのでござます。――半四郎師匠は、いまも申しましたように、
「綱に、綱に……」
 と、申されながら、冠っていらっしゃる金烏帽子を、はね上げなさったのでございました。私は、つと、にじりよって、それを拾い上げたのでございますが、その瞬間に、思い出したことが御座いました。それは、落ちた烏帽子を後見が取りあげて、綱にかける型があるのでございます。これは、なんでも、ある名高い江戸役者が、この踊りを、おどっていらっしゃいました時に、烏帽子をはねた勢があまり強く、いきおいあまって、烏帽子が後にとび、綱にからまったのだそうで御座います。ところが、何がどうなるか、分らないもので御座いまして、これがまた大変な評判になり、それが、一つの異った型になったのだ、と申すのでございます。しかし、こうした偶然は、つねに舞台でくりかえすことは、勿論のこと、不可能でございますから、この型を踏襲されていた江戸役者の方々は後見にいい付けて後にはねた烏帽子をわざわざ綱にかけさせていた、――というので御座いました。私は、こうした事を思い出し、師匠の、
「綱に、綱に……」
 と、申されたのは、私にそうした事を命じていらっしゃるのだ――と考えまして、その通りにいたした事でございました。しかし、半四郎師匠は、何故か、明かに興奮していらっした様子でございまして、そうしたことをいたしました私に対しても、毀誉《きよ》を意味する何の表情も、お見うけすることが出来なかったのでございます。

        |○|[#「|○|」は縦中横]

「これだけでも、あの時の半四郎師匠が、常とは変っていたことがお分りになるでございましょう。しかし、変っていると申しますれば、歌詞の最初あたりの、
 ※[#歌記号、1−3−28]言わず語らぬ我が心……
 と、このあたりで、初めて、清姫の正体がほのめかされるのでございますが、もう、この頃から、どうしたものか、いつもの岩井半四郎とは変り、何としても、そうした、いわば踊りの腹芸とでも申すべき、ところが少しも見えなかったので御座います。それから、三味線の調子が変り、唄も、ひとしお、渋くなってまいりまして、
 ※[#歌記号、1−3−28]都育ちは蓮葉《はすっぱ》なものじゃえ
 と、歌は切れ、合の手でございまして、この三味線の間に、白拍子の花子が、上に着ている衣裳をぬぐのでございます――つまり、引抜くのでございますが、普通の踊りの時のように、踊りの手をやめたり、舞台の後方へ退いて、ひき抜くのではございません。三味線の合の手[#「合の手」に傍点]に合せて、手毬つくしぐさをしながら、脱ぐのでございます。――役者ひとりが、ぬぐのではなく、後見のたすけをかりるのでございます。それは、衣裳の袂、胴、裾、と申しますような部分をばらばらにいたしまして、引きぬくのでございますが、そうしたところを、綻《ほころ》ばしまするには、俗に、玉と申すものを引くのでございます。これは、縫ったまま、止めてない糸のことでございまして、たやすく、引くことの出来るように、糸の先きに小さい玉がついており、こうしたところから、玉という名称が生れたのでございましょう。――この玉を引き抜くと、見物衆のお目にかからぬ様に後見に渡すのが、踊られる方のお手際でございまして、後見の方から申しますれば、それを正しく受とるのが役目でございます。ところが、待ちうけている私には、お手渡しになりませず、それを、手に、しっかりと握ったままで、踊りを続けていらっしゃるのでございます。私は、はっと、驚き、思わず、師匠の顔を見上げたので御座いました。すると、目を血走らせ、何事かを、口の中で、呻くようになさっております。私は師匠がまた、お見物衆のことで、何か気に入らぬことでもあるのだろう――と考えながら、そっと耳をかたむけたので御座います。――唄と三味線、そして、鳴物に、ぴったりと合った、日本一の踊りを、おどりながら、半四郎師匠は、口の中で呟くように云っていられます。
『畜生《ちくしょう》……畜生』
 ――たしかに、二たこと、こう申されたので御座いました。そして、手に握った玉を、後見の私にお渡し下さることか、勢よく、つと、舞台の天井に向って、投げられたことでございました。

 このようなことは、あの我儘な、半四郎師匠には、ありがちのことでございましたので、私も、その時には、何の気にもいたしませんでした。しかし、師匠が、ああした不可解な死をとげられました今になっては、そうしたことが、何か関係していたのではあるまいか――とも思えるのでございます」

        |○|[#「|○|」は縦中横]

 これで、一、二、三の被疑者が、つまり――
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杵屋新次(私の長唄のお師匠で、何時も被害者岩井半四郎の立三味線を弾いていられる方)
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杵屋新三郎(杵屋新次さまの一のお弟子で急病の新次師匠に替って道成寺の立三味線を弾かれた方)
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名見崎東三郎(被害者岩井半四郎の後見として、道成寺の舞台を勤めていられた方)
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 ――のお三人の陳述が終ったのでございました。そうした取調べをおうけになりましたのも、
(い)私の師匠、杵屋新次さまの場合では、師匠が開幕前まで持っていられた、象牙の撥が、殺人の現場に残されておりましたため――そして、開幕直前の急病が、疑問の目で見られたため――でございましょうし、
(ろ)杵屋
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