ての目は岩井半四郎の白拍子に注がれていたのでございましょう。引抜きの時にも、半四郎は、手でまるめた糸屑を、後見に渡さず、踊りの手にまぎらせて、天井に向って投げた、と申すではございませんか。それに、
「……何か、ご見物衆のことで、気にいらぬことでもあったのか、口の中で、呟くように、畜生、畜生と云われました」
と、かようなことも、申していらっしゃるではございませんか。その呟き声は、疑いもなく、猿に向って発せられたものでございましょう。――それに、後見の、名見崎東三郎さまの陳述によれば、
唄がすすむにつれて、異常に興奮し、
物の怪につかれた人の譫言のように、綱に、綱に、と独白された――というではございませぬか。
じっと、おとなしく、綱にすがっている猿でございますれば、半四郎が手にした糸屑を、踊りながら、投げる必要が、どうしてございましょう。
その猿は、きっと、怒の形相ものすごく、じっと、半四郎を睨みつけていたのでございますまいか――無残に、殺された、我がいとし子の小猿の無念を思いながら。
[#地付き](一九三七年六月)
底本:「幻の探偵雑誌4 「探偵春秋」傑作選」光文社文庫、光文社
2001(平成13)年1月20日初版1刷発行
初出:「探偵春秋 第二巻第六号」春秋社
1937(昭和12)年6月1日
入力:川山隆
校正:土屋隆
2006年10月17日作成
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