ひとの陳述は、次のようであったそうでございます。
 私は、もう十数年間も、師匠、岩井半四郎の後見を勤めている男で御座います。私には、師匠を殺害せねばならぬ理由はございません。恐らく、師匠は、誰にも殺される理由はないと存じます。しかし、それと同様に、誰にでも殺される理由をも持っていらっしゃる方で御座いました。こうした私の言葉は、変に聞えるかも存じません。しかし、あの人を人とも思わぬ、傲慢な、半四郎師匠に、芸を離れて、好感をもっていた人が、この世に幾人ございましょう。あの方に、あの芸がなかったなれば、あの不遜な態度だけでも、十分に、殺意をさえ起させるほどで御座います。これは、私が、誇張して申上げる言葉では御座いませぬ。
 こうしたことを申上げるまでもなく、御存じでございましょうが、後見は踊られる方のために、総てを捧げなければならないのでございます。これと同様に、踊られる方にいたしましても、後見に同情なしに踊る訳にも行かないのでございます。――踊り手と、後見とが一つになりまして、影の形に添うようにしなければならないのでございます。半四郎師匠も、勿論、こうしたことは御存じでございますし、何分にも、名人として、自他ともに許されているほどのお方でございますから、気苦労いたしながらも、楽々と働けまして、大変に楽な後見ではございましたものの、ああした舞台でも、人を人と思わぬ傲慢さが、随時に現われまして、踊りの手を、自分勝手におかえになるほどのことは、常時でございまして、時としては、今日の見物は気に食わぬ――というような、自我な理由で、勝手に所作を中途で切り上げ、道成寺でございますれば、白拍子の鐘入りもせずに、長唄、お囃子連中の呆気にとられた目なざしを尻目に、幕にされたようなことも、度々あったのでございます。
 半四郎師匠の踊りは、いつもと同じような調子で経過いたしました。ご機嫌も、いつもの通り、別に、よくも、悪くもございませんでした。しかし、私は、これを不思議に考えているので御座いますが、踊りが初まりまして、しばらくすると、師匠の様子が変って来たことでございました。何と申したらよいでございましょう――いわば、怨霊にでも取りつかれた人のような様子がございました。舞の合間あいまに、上を見たり、横を見たり、なさいまして、額には、たしかに、脂汗がにじんでおりました。顔色もすっかり、蒼白になりまして、ともすれば、三味線と離ればなれにもなりそうで御座いました。しかし、さすがに、踊りにかけては名人と申すのでございましょうか、そうしたことも、巧みに、手振り、足ふみに紛らわされ、お気づきになった方は、一座の内、座方の中にも、幾人もございますまい。それに、三味線から、ともすれば、離れようといたしますのも、ある方々は、それを、立三味線を弾いていらっしゃる、新三郎さんの罪にし、一のお弟子さんといいながらも、やはり、師匠の新次さんでないと、岩井半四郎の糸は出来ない――なぞと、知ったか振りをなさる通人もあったようでございました。
 半四郎師匠の異様な興奮は、唄が進みますとともに、ますます烈しくなって参りまして、踊りの中で、こうしたことがあったのでございます。それは、鐘に恨み――の文句の終りに
 ※[#歌記号、1−3−28]|真如《しんにょ》の月を眺め明かさん
 と、いう歌詞がございますが、ここで、白拍子が冠っている金烏帽子を、手にもつ、中啓《ちゅうけい》で跳ね上げるところがございます。ところが、この前後で、踊っていらっしゃる半四郎師匠が、
「綱に……綱に……」
 と、二たこと申されたのでございました。物の怪につかれた人の譫言《うわごと》とも、気狂いの独白とも感じられるような声でございました。しかし、後見の私にしてみますれば、これは、何か自分に云っていらっしゃることに違いない――と考えたのでございます。勿論のこと、そうであったのかも存じません。私は、また、いつもの、我意から踊りをいい加減に切り上げるか――または、踊りの一部を勝手にお変えになるについての私への注意に相違ないと考えたのでござます。――半四郎師匠は、いまも申しましたように、
「綱に、綱に……」
 と、申されながら、冠っていらっしゃる金烏帽子を、はね上げなさったのでございました。私は、つと、にじりよって、それを拾い上げたのでございますが、その瞬間に、思い出したことが御座いました。それは、落ちた烏帽子を後見が取りあげて、綱にかける型があるのでございます。これは、なんでも、ある名高い江戸役者が、この踊りを、おどっていらっしゃいました時に、烏帽子をはねた勢があまり強く、いきおいあまって、烏帽子が後にとび、綱にからまったのだそうで御座います。ところが、何がどうなるか、分らないもので御座いまして、これがまた大変な評判になり
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