小母さんの方をむいて、畳に手をつかれました。
「師匠は気嫌が悪いでしょう。頭痛がすると朝から云っておりますが、物を云っても返事もしないほどでございますよ」
小母さんは、小さな声で、こう云われまして、子供のするような科《しぐさ》で、少し肩をすくめられました。光子さんは、
「ええ」
と、微笑されて、私と健さんとの前に坐られました。そして、
「いらっしゃいませ」
と、挨拶をなさいました。小母さんは、火鉢の上で、快い音をたてて、沸《たぎ》っている鉄瓶のお湯を湯呑に入れて、二階へもって行かれました。丁度、その時菓子屋の幸吉《こうきち》さんが、這入って来られたのでございます。
この方は、高松屋《たかまつや》という、町では相当に老舗《しにせ》た、お菓子屋の息子さんでございまして、親の跡をつぐために、お店で働いていられたのでございます。見ると、手には、お店の印の入った風呂敷包みを持っていられます。
「光子さんも広子さんも、お揃いでございますね」
幸吉さんは、私たちに、こう云って、健さんの方をむかれると、
「嫌なお天気でございますね。頭の重い……」
と、申されました。
「ほんとでございますね。それに、今日は、また、お珍しく、お早いお稽古で」
「ええ、実は横町のお米屋さんからの、御注文を届けに参るところでございますが、かえりに寄って混んでいると悪いと思って、寄せていただきました。しかし、あなたがた、もう、おすみになったのでございますか」
と、私たちの方をむかれました。私は、
「光子さんと健さんはお済みになりました。わたし、まだでございますけれど、お急ぎの様でしたら、どうか、お先きに……かまいませんのよ」
こう、申しますと、幸吉さんは、
「そうですか。ほんとに、よろしいのですか。では、厚かましいですけれど、先にさして頂きます」
と、急いで、座を立たれました。その時、小母さんは二階から降りて来られました。幸吉さんは梯子段の下で、小母さんが降りられるのを待っていられましたが、顔を見ると、
「小母さん、今日は」
と、声をかけられました。
「一寸、用事がありますので、広子さんに、順番をかわって頂きました」
すると、小母さんは、何時もの様に、愛想よく、
「そうでございますか」
と、申されましたが、声を低《ひ》くめて、
「今日は師匠の御気嫌が、とても悪い様でございますから、御
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