ってはと、心配されていたからでございましょう。しかし、何時のまにか御近所の方で断り切れずとか、お知り合いの方だから、といった風で、男のお弟子さんも、時としては、四五人もあったのでございました。
師匠の宅は坂東堀にございまして、黒板塀に見越しの松さながら、芝居の書割にある様な、三階建のお住居でございました。で家内は、お母さんとの二人きりで、しごく睦《むつま》じくお住いになっておりました。お稽古場は三階でございまして、私たち、お稽古人は階下の表の間で、順番がくるのを待つ様になっていたのでございます。師匠のお母さんは、何時も、奥の間の長火鉢の前に坐っていられまして、表の間で順番を待っているお稽古人を相手に、何かと世間話をされていたものでございます。この方は、色の黒い、瘠《や》せぎすな、悪く申しますと、蟷螂《かまきり》を思わせる様な御仁でございましたが、お商売がら、と申すのでございましょうが、とても、お話がお上手で御座いまして、お弟子さんのお相手にも、子供には子供らしく、お若い方にはその様に、よくもああまでお上手にお話し対手が出来ること、と、私たちは何時もお噂いたしていたほどでございます。
丁度あの日は、嫌に湿っぽい、とても陰気なお天気でございました。私がお稽古に上りました時は、まだ、四時過ぎで、いつもは明るい奥の間が、うす暗く、ぼんやりと、座敷に座っていられるお母さんの影が、古い土蔵の白壁に静かにとまっている蜥蜴《とかげ》の様に、とても気味悪く、くっきりと浮んでいたことを記憶いたします。私が這入って行きますと、呉服屋の健《けん》さんが、唯一人座っていられました。私は、お母さんと、健さんに、
「今日は……」
と御挨拶いたしまして、健さんの傍に座ったのでございます。健さんは、
「いらっしゃい」
と、軽く頭を下げられました。二階からは、お稽古の声と三味線が聞えて参ります。
※[#歌記号、1−3−28]旅の衣は篠懸《すずかけ》の、旅の衣は篠懸の、露けき袖やしぼるらん
勧進帳でございます。どうやら、お稽古されているのは光子さんらしゅう御座います。健さんは、二階の声について小声で唄っていられましたが、
「私は次にあれを習いたいと思っています。今日はもうお稽古をすませて頂きましたが、光子さんがおさらいをしていられますので、聞かせて頂いています」
と、こう申されました。
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