ラ・ベルとラ・ベート(美し姫と怪獣)
ヴィルヌーヴ夫人 Madame de Villeneuve
楠山正雄訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)商人《しょうにん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)見|捨《す》てずに

[#]:入力者注 主に外字の注記や傍点の位置の指定
(例)ハープシコード[#ここから割り注]ピアノに似た昔の楽器[#ここで割り注終わり]を
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 むかし昔、ある所に、お金持の商人《しょうにん》がいて、三人のむすこと三人のむすめと、つごう六人のこどもをもっていました。商人には、お金よりもこどものほうが、ずっとずっとだいじなので、こどもたちたれも、かしこくしあわせにそだつように、そればかりねがっていました。
 三人のむすめたち、たれも、きれいに生まれついてきているなかで、いちばん末の女の子は、きれいというだけではたりない、それこそ照りかがやくように美しくて、まだ三つ四つのおさな子のときから、ラ・ベル――美《うつく》し姫とよばれていたのが、大きくなるにしたがい、美人ということばは、このむすめひとりのためにあるようになりました。顔かたちの美しいばかりでなく、心のすなおで善《よ》いこのむすめとはうらはらで、ふたりの姉たちは、あいにく、いじわるでねじけていて、妹の美しい美しいとほめられるのがにくらしくてなりませんでした。それに、この姉たちは、いばりやで見《み》え坊《ぼう》で、世界一大金持のようにおもい上がって、ほかの商人たちのなかまを見下《みくだ》しながら、侯爵《こうしゃく》とか伯爵《はくしゃく》とか貴族《きぞく》のやしきによばれて、ぶとう会やお茶の会のなかまになることを、この上ないめいよにおもっていました。そして、妹のラ・ベルが、いつもうちにひっこんでいて、つつましくおとうさまに仕《つか》えているのを、「あの子はばかだから。」といってあざけりました。なにしろ、うちがお金持なので、むすめさんをおよめにといってくるものは、ことわりきれないほどありましたが、上の姉たちは、自分より上の身分のもののほか、まるで相手にしませんでしたし、末の妹は、まだわたしはこどもで、とうぶん、なくなった母の代りに、父の世話《せわ》をしてあげたいとおもいますからといってことわりました。
 ところで、人間の身の上はいつどうかわるかわかりません。さしも大金持だった商人が、ふとしたつまづきで、いっぺんに財産《ざいさん》をなくしてしまい、のこったものは、いなかのささやかな住居《すまい》ばかりということになりました。そこで商人は、三人の男の子に言いふくめて、てんでん、ひろい世間へ出て、その日その日のパンをかせがせることにしましたが、女の子たちのうち、ふたりの姉は、自分たちは町におおぜい、ちやほやしてくれる男のお友だちがあって、いくらびんぼうになっても、きっとそのひとたちは見|捨《す》てずにいてくれると、いばっていました。けれど、いざとなると、たれも知らん顔をして、よりつこうともしないどころか、これまでお金のあるのを鼻にかけて、こうまんにふるまっていたものが、そんなざまになって、いいきみだといってわらいました。それとはちがって、末のむすめのことは、たれも気のどくがって、びた一文もたないのはしょうちで、ぜひおよめに来てもらいたいという紳士《しんし》は、あとからあとからとたえませんでしたが、むすめは、こうなると、よけいおとうさまのそばをはなれることはできないとおもって、どんな申込《もうしこみ》もことわりました。
 こんなしだいで、一家は、いやおうなし、いなかのちいさな家にうつりました。そして、三人の男の子は、一日外に出て、すこしばかりある土地を耕《たがや》して、お百姓《ひゃくしょう》のしごとにいそしみました。末のむすめは、まい朝四時から起き出して、うちじゅうの朝飯をこしらえました。これは、はじめのうちたれも手つだってくれるものはなし、ずいぶんつらいしごとでした。でも、馴《な》れるとなんでもなくなりました。それで、ひとしきり片づくと、むすめは、本をよんだり、ハープシコード[#ここから割り注]ピアノに似た昔の楽器[#ここで割り注終わり]をならしたり、糸車をまわしたりしました。ふたりの姉むすめはというと、よくよくうまれつきのなまけものらしく、朝もおひる近くなってやっとおき出して、外へ出ることも、遊びに行く所もないので、一日ただだらしなくねそべって、ふくれっつらして、ぶつぶつ口|小言《こごと》ばかりいっていました。それで、妹のたのしそうに、せっせとはたらいているそばで、この子は女中のことしかできないのじゃないか、とけいべつするようにいっていました。
 こんなことで、どうにか一年立ちました。するとある日、町からしらせがとどいて、難船《なんせん》したとおもった商人の持ち船が、にもつを山とつんだまま、ぶじに港へ入《はい》って来たということが分かりました。さあ、うち中の大よろこびといってはありません。なかでも、ふたりの姉むすめは、あしたにももう、いやないなかをはなれて、町の大きな家へかえれるといって、はしゃいでいました。そして、もうさっそくに、きょう、町へ出たら、きものと身の飾《かざ》りのこまものを、買って来てくれるように、父親にせがみました。
「それで、ラ・ベルちゃん、お前さんは、なんにも注文《ちゅうもん》はないのかい。」と、父はいいました。
「そうですね、せっかくおっしゃってくださるのですから、では、ばらの花を一りん、おみやげにいただきましょう。このへんには、一本もばらの木がありませんから。」と、むすめはいいました。べつだん、ばらの花のほしいわけもなかったのですが、姉たちがわいわいいうなかで、自分ひとり、りこうぶって、わざとなかまはずれになっていると、おもわれたくないからでした。
 さて、いさんで町へ出て行ったものの、いろいろめんどうな訴《そ》しょう事件《じけん》になって、船のにもつは、そっくりとり上げられ、商人は、出かけたときよりも、もっとびんぼうになって、またとぼとぼ、いなかの家へかえって行くほかはありませんでした。あいにく冬で、もうあと、うちまで十五里という所まで来て、日はとっぷりくれる、道は雪でうずまってしまいました。おまけに、大きな森ひとつとおりぬけなければなりません。さむさはさむし、おなかはすく、商人は、もうこのままここで、行きだおれになるかとおもいました。
 するうちふと、ながい並木道《なみきみち》のはるかむこうに、ぽつんとひとつ、火あかりがみえました。商人は、ほっとしながら、のっていた馬のくびを並木道のほうへむけて、道のつきる所まで行ってみますと、あんがいにも、そこに、すばらしくりっぱな御殿が立っていました。しかも、窓からは、赤あかとあかりがさしていながら、中には人ひとりいるけはいがありません。戸をたたいてみても、庭にまわってみても、やはりしんかんとしていました。そのあいだに、のってきた馬だけが、うまやの戸のあいているすきからはいりこんで、まぐさ槽《おけ》のほし草やからす麦を、がつがつしてたべていました。商人は、馬をのこして、自分だけそっと、中へはいってみましたが、やはり、たれも出てくるものも、声をかけるものもありません。そのくせ、炉《ろ》の火はかんかんもえていて、テーブルには、ちゃんと一人前のごちそうと、お酒のしたくがしてありました。
 商人は、なにしろ肌《はだ》の下まで雪がしみとおっていたので、かまわず炉《ろ》の火でからだをかわかしながら、ひとり言《ごと》のようにいいました。
「ごめん下さい。いずれ出ておいでになることとおもいますが、このおうちのご主人さまなり、お召使の方なり、どうか火にあたらせていただきます。」
 こういって、しばらく待っていましたが、たれも出てくるものがありません。時計《とけい》は、十一時をうちました。するうち、おなかがへって、気がとおくなりそうなので、テーブルにあった若鶏《わかどり》をひときれ、おっかなびっくらたべました。ぶとう酒も四五杯のみました。これでおなかができると、げんきも出てきて、ゆっくりそこらを見まわしました。やがて、十二時をうったとき、商人は、あいている戸から広間をぬけて出て、いくつもいくつもすばらしいへやを通って、さいごに、ねごこちよさそうなベッドのおいてあるへやに来ました。それをみると、もうとてもくたびれきっているので、きものをぬぐなり、ごそごそとはいこみました。
 あくる朝十時をうつまで、商人は目をさましませんでしたが、目をあいてみて、おどろいたことに、きのうまできていたぼろぎものが、さっぱりと新しいものにかわっていました。これで、たれか心のいい妖女が、この御殿のあるじなのだとおもって、窓からそとをふとのぞきますと、ゆうべの雪がきれいになくなって、花でおおわれたあずまやのある、きれいな花園になっているので、いよいよそれにそういないとおもいました。さて、もういちど、ゆうべ食事をした大広間《おおひろま》へもどってきてみますと、もうちゃんとテーブルに、朝食のしたくがしてありました。こんどはえんりょなく食事をすませると、馬はどうしたかとおもってみに行きました。すると、とちゅう、ばらの花|棚《だな》の下を通ったので、ふと、末むすめのラ・ベルにたのまれたことをおもいだして、おみやげにひと枝、ばらを折りました。とたんに、ううという、ものすごいうなりごえがしました。そして、みるからおそろしい一ぴきの怪獣《かいじゅう》が、あらわれるなり、せなかを立ててむかってきたので、商人はおびえ上がって、気がとおくなりかけました。
「恩しらずのどちくしょうめ。」と、そのけものは、おそろしい声でさけびました。「おれは、お前のいのちをたすけて、この御殿にとめてやったのではないか。それが、なによりおれのだいじにしている、ばらの花をぬすむとはなにごとだ。その代価《だいか》は、お前のいのちの血で払《はら》わせるぞ。」
 商人は、かわいそうに、ふるえ上がって、怪獣の前にぺったりひれ伏《ふ》しながら、
「とのさま、おゆるし下さい。おしかりをうけることとは存じませんでした。ついむすめから、みやげに、一りんばらの花をといって、のぞまれましたものですから。どうぞ、いのちだけはおたすけ下さいまし。」といいました。
「おれは、とのさまではない。ただのけだものだ。」と、怪獣はいいました。「おれは、おべんちゃらはきらいだ。口さきのあまいことばで、つべこべごまかすことはやめてもらおう。だがお前、むすめがあるそうだな。そのなかにひとりぐらい、たぶん来て、お前のいのちに代ろうというものがあるだろうから、それでお前はゆるしてやる。万一、それがいやだというなら、三箇月のうちに、お前がかならず、戻《もど》ってこなければならないぞ。」
 商人は、むすめたちのうちの、ひとりだって、自分の代りに死んでもらおうなどとは、ゆめにもおもいませんでしたが、さしあたりうちへかえって、むすめたちの顔をみて、死にたいとおもいました。それで、かならず戻ってくるとちかいますと、怪獣も、それなりゆるしてくれたうえ、から手でかえることはないからといって、ゆうべねむったへやへ、もういちど行ってみよといってくれました。そこには、大きな箱があるから、この御殿の中にありそうなもの、なんでもそれにいっぱいつめて行くがいい、いずれあとから箱はうちまでとどけてやるといいました。
 商人は、せめて、こどもたちに、もって行ってやるおみやげのできたことだけでもよろこんで、いわれたとおり行ってみますと、なるほど大きな箱があって、そのそばのゆかに、金貨《きんか》が山と積《つ》まれていました。商人は箱に金貨をつめると、それなりまた、とぼとぼうちへかえって行きました。つみとったばらの枝は、そのまま手にもっていて、こどもたちが出むかえますと、まず末のむすめに、ばらの花をわたしながら、「さあ、ラ・ベルちゃんや、これをあげるが、その花一りんが、このあわれなおとうさんに、どんなにた
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