を担いで、それをお頭にして、数人踏みとどまるというようなことになったのであります。が、そうきまるというと、この芹沢という者を近藤の手で暗殺してしまった。芹沢という人は、随分素行のよくない人であったといいますけれども、別に分離後に素行が悪くなったのではない、前から悪いのでありますが、都合のいい時は、素行が悪くても大将に押し立てるし、都合によっては素行を論じて排斥の理由ともし、それだけではまだ不十分なので、ついに暗殺する。かなり陰険な働きをするものである。
 さて最初は十二三人であったのが、後には百人余りになって、壬生浪士といわれておりましたが、それが新選組ということになって、近藤はそのお頭になったのであります。ここの手際の最もよかったことは、三月の三日に清河等が江戸へ帰りますと、七八日たった十日の日には、所司代に属することになって、新選組という名前も出来た。これは、会津侯は前月すでに、「在京有志の徒にして、主家なきものを守護職に属せしむる」ということを申し立ててもおりますし、のみならず、この前後に浪人を懐柔することについて、ちっとも油断なくやっておられたのでありますから、江戸から御用の暴
前へ 次へ
全16ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三田村 鳶魚 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング