をするだろう。筋を辿る爲めにあの小説を書いている中里介山君ではないのだろうから。
中里君の大菩薩峠を田中智學さんがほめたたえた、田中さんがほめなくつたつて、私は十年も昔からほめそやしている、憎らしいほど立派なものだと心で思つている、いつぞや菊池寛さんがあれをほめて文壇的とやらに推薦とやらをした時、中里君は今更ワイ/\云つてくれないでも、世間の方がとつくの昔に知つているよと云つたとかいう噂を聞いた事がある。菊池寛さんにほめられると皮肉を云つて、田中智學さんにほめられると一も二もなく賛成する中里君の心持が少し判らなくなつた。それはそれとして、田中智學さんも餘計な事をする人だ、あんな風によせもの細工のような芝居を作ろうなんて了見は起こさないで下されば好いのに、それにつけてもほめただけで何もしないでいて下すつた菊池さんへ私は遙かに敬意を表したい。
帝劇の大菩薩峠を見て、大菩薩峠らしく感じたのは大湊の舟小屋と新錢座の浪宅と輕業小屋との部分々々である。人物の中で小説の人らしく思われたのは高助の米友の風※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]と律子のおはまと、かく子のお角と、田之助の兵馬など
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