署長が満身の力を振《ふる》って漕げば、不思議にも、両艇の距離は意外の早さをもって接近して来た。巡査はますます努力を加えた。小舟は矢よりも早く突進する。今は数秒後に敵に達するばかりだ。
『止れッ』と署長が叫んだ。暗《やみ》にすかしてかすかに見ゆる敵の姿は、身を屈《かが》めて動かない。
『御用だッ!』と署長が叫ぶ。
 月は再び雲に隠れて四辺《あたり》は暗い。賊は早くも身構えた様子に、三人の警官はピタリと船底に身を伏せた。舟は惰性で真直ぐに突進した。しかし敵は依然として微動だにしない。
『神妙にしろッ……武器を棄てろッ、云う事を聞かないと容赦はないぞッ、宜《よ》しか、そら一ツ……二ツ……』
 三ツの声も聞かぬ内に警官は一斉に撃放《うちはな》すや否や、オールに獅噛《しが》み付いて、敵艇を突くまでに力漕した。
 敵は依然として泰然自若、舟はジリジリと肉薄した。二名の警官は艫《ろ》をかなぐり捨ててまさに敵艇に突撃せんとした刹那、『アッ』と云う驚きの声が三人の口を突いて出た。艇《ふね》の中は藻抜けの殻だ――今まで敵だと思った人影は盗み出した品物を積み上げて、それに上衣《うわぎ》を着せ帽子を被《かぶ》
前へ 次へ
全137ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
新青年編輯局 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング