パンを支えた。かくて四本の腕は超人的怪力をもって組んず解れつした。
 二人は四ツの手を掴み合ったまま、身を踞《かが》めて互に隙を窺っていた、早く力の弛《ゆる》んだ方が喉を絞め上げられるのだ。息を殺して寸分の隙も無く組み合っている。しかも舞台ではシンミリした場面で一同息をのんで声の低い独白《せりふ》まで聞こえてくる。黙黙として、沈静。
 婦人は身を椅子に支えつつ、怖れと駭《おどろ》きの眼を見開いて両者の挌闘を見詰めている。もし彼女が指一本動かしてどちらかに加勢すれば、その方は正に勝利を得るのだ。しかし、彼女|果《はた》して、何人《なんびと》に加勢するか?ルパンは重く力ある声で、
『さあ、椅子を退けなさい!』
 と命ずるように云った。二人の間に倒れている重い椅子、その椅子を挟んで彼らは争っていたのだ。
 彼女は身を屈めてその椅子を取り除いた。これこそルパンの睨《ねら》った機会だ。障害物が除去せらるるや否や長靴の尖《さき》でドーブレクの向脛《むこうずね》に得意の一撃を与えた。結果は彼が最初に敵の腕に与えた痛撃と同様、ウムと苦痛に呻《うめ》く刹那の隙を得たりとばかりドーブレクの喉と頸に両手をかけてぎゅっと絞め上げた。
 ドーブレクは力の限り抵抗した。ドーブレクは絞め上げられた手を振りほどこうと努めたが、時既に遅く、次第に息が塞がり気力が抜けて来た。
『ああ!ゴリラめ!』とルパンは彼を引き倒しながら云った。『なぜ助けてくれと喚《わめ》かないんだ? 世間体を恐れるのか畜生ッ』
 と云い様《ざま》、その頭に一撃を喰わすと、代議士は悲鳴を挙げて気絶してしまった。残る仕事は例の婦人を連れて、人々が騒ぎ出さぬ内にここを逃げ出すだけだと思って振り返って見れば既に婦人の姿は見えぬ。
 逃げ出したにしてもまだ遠くへは行くまい。彼は続いて桝を飛び出した。そして案内女や桟敷番《さじきばん》が驚いているのに目も呉れず一散に階段を駈け降りると、婦人が今しもアンチンヌ並木町に面した出口の処へ走って行く姿を認めた。彼が追いすがった時に彼女は自動車の中に躍り込んでピシャリと扉《ドア》をしめた。彼は手を延ばして把手《ハンドル》を掴み扉《ドア》を開けようとした。その瞬間ヌッと男の姿が中から出るや否や、巧みな、かつ猛烈な拳骨をもってルパンの面部《めんぶ》を殴り付けた。
 不意の猛襲にグラグラと目が眩んで倒れなが
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