せた案山子《かかし》であった。
 彼等は燐寸《まっち》をすって賊の残した衣類を調べた。そこには書類も紙入《かみいれ》もなく、ただ一ツ一枚の名刺があった。そこには怪賊アルセーヌ・[#「・」は底本では「。」]ルパンの名が記されてあった。

 これとほとんど同時刻に、アルセーヌ・ルパンは最初に出発した岸へ泳ぎついて、悠々と上陸した。そこには部下のグロニャールとルバリュが待っていたが、彼は慌しく二言三言云い棄てて、ドーブレク代議士の家から盗み出した品物を積み込んである自動車に飛び乗り、毛布《けっと》をスッポリ頭から被り、そのまま人影杜絶えた夜の道をヒタ走りに走らせ、ニコーリー町の秘密倉庫で自動車を降りた。
 マチニョン町にはジルベール以外一味の部下の何人《なんぴと》も知らない瀟洒たる隠家《かくれが》がある。ホッと息を吐《つ》いた彼れは直ちに衣服《きもの》を脱ごうとして例の通り、寝床へ入る前に懐中しておるものを一々取り出して傍《そば》の暖炉《ストーブ》の上に置いた。紙入《かみいれ》を出し鍵を出すと次にジルベールが捕縛される最後の瞬間にソッと自分の手に渡した品物のあったのに気が付いた。彼はそれを出してみて吃驚《びっくり》した。硝子《がらす》の水入れに付いてる様な水晶の栓で、打ち見たところ栓と云うより外《ほか》に何の変哲もない代物だ。強《しい》て特徴と云えば栓の頭が多面体《ためんてい》に刻まれて、中ほどくらいまで金色《こんじき》に色を付けてあるくらいのもので、いくら見ても珍重するほどのものとは思われなかった。
『ボーシュレーとジルベールとがあれほどまで執念深く目を付けたのがこんな硝子の栓なのか? この栓一箇のために書記を殺した、これのために二人して争奪をした。これのために時機を失った。これのために牢獄の危険を冒し……裁判も忘れ……断頭台も恐れなかったのか……可怪《おか》しい、どうも不思議だ……』
 不思議の謎を解きたいのは山々だが余りに疲労してこれ以上考えるに堪《た》えないので彼は問題の栓を暖炉《ストーブ》の上に置いて、そのまま寝床へ入った。
 彼は苦しい悪夢に魘《うな》された。いかに藻掻いても、目に見えぬ糸で縛り上げられたごとく、一寸も動く事が出来ず、目の前には恐ろしい幻影、黒布《こくふ》に覆われた物凄い棺桶、湯棺に代る最後の化粧、悲惨な断頭台の断末魔の光景がそれからそれと展開
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