下げ]
かくてをのこは、こゝを出でて、かの船つき場にゆき舟をさがし、これを引きつゝ、さきに來りし路にそひ、處處にしるしをつけて郡へ歸へり、太守がりまゐりて、前に述べたる事を悉く語りしが、太守聞き、さらばとて人をこのをのこにつけ、彼の土を探らしめしが、さきにつけたりし道しるべを見失ひつ、遂に引かへしぬ。
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南陽劉子驥高尚士也。聞之欣然親往。未果。尋病終。後遂無問津者。
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南陽の(11)劉子驥といへるは世に聞えたる氣高き人物なりしが、此話を傳へきき、(めづらしき處かな、我こそ親ら往き見むと)いさみしに、未だ果たさぬうちに病を得てみまかりぬ、かくて其後にかの船着場を問ふ人は絶えてなかりしと言傳へける、
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(1)桃花源記ハ陶淵明ガ己レノ理想境ヲ描キタルモノニテ、實ニ漁夫其地ヘ至リシ事アル譯ニ非ズトイフモノアリ。眞カ實カ、明白ナラネドモ、太元中ト漠然ト述ベシ所ニ一種ノ味アリ、故ニ「太元の頃かとよ」ト譯セリ。
(2)「逢フ」ハ思ハズ出逢ヒタル事ナレバ、「ふと見れば」ト譯セリ。
(3)「其の下には」ト原文ニナキモ、木ト花草ノ關係ヨリ入レ候ヘドモ、必要ナキヤウニ思ハル。
(4)林盡水源ハ、邦讀ニスレバ、林盡[#(ク)][#二]水源[#(ニ)][#一]トモ、林盡[#(キテ)]水源[#(アリ)]トモ讀メ候。音讀ナラバカヽル區別ナシ、今假リニ林盡くる所、即ち水源なりトセリ。
(5)豁然開朗ハ下ノ土地平曠ト連ラナリ、狹カリシ穴ヨリ廣々トシタル所ニ出タト解スル事誤リナケレドモ、客觀的ノ景色ヲ描クト共ニ、主觀的ナル漁夫ノ心理状態ノ一變シタル事ヲ含ム。道學先生ナド、心學ノ錬成[#「錬成」に白丸傍点]ヲナスニ初メ苦心ヲナス状態ヨリ大悟ニ至ルマデノ階段ヲ示シタルモノト言フ人アリ。此レハ當ヲ得ザルモ、兩面アルモノト見、「胸すくばかり」ト譯ヲ致シタルモ、ヨリヨキ語ハ無之哉。
(6)怡然自樂ノ怡モ樂シムコトナレド、同ジ譯語ヲ用フル事能ハザレバ、少々區別シ、「怡」ノ尤近キハ調和ノ和或ハ調ナレドモ、コレヲ如何ト思ヒ、心やすらげに見ゆト譯シタリ。
(7)便ノ助辭ハ文中多ク直《タヾチ》ニノ意ヲアラハセドモ、元來、便ノ字ハ或ハ「遂《ツイ》ニ」ノ意ヲアラハス助辭ニ用ヒラルヽ事モアリ。此處ハ便要トツヾキ、漁夫ノ斷ハルヲ先ヅ/\ト無理ニ引キツレ往キシ、素樸ニシテ親切ナル状ヲ示シタル極メテ力強キ助辭ナレバ、數語ヲ加ヘタリ。
(8)原文ニハ「自云」トノミアリテ、何人ノ言タルヲ明言セザレドモ、家ノ主人ノ語ト見ルベキヲ以テ「あるじ」ヲ加ヘタリ。カヽル文字[#「文字」に傍点]ハ後世古文ヲ書クニモ使用セズ、必ズ何人ト明記ベキ所ト思ハル。
(9)此中人語云。此處原文トシテハ簡潔ニテ氣韵モ高ク感ゼラルレド、譯文ニハ數十字ヲ加ヘタリ。國文ノ規則ニ從ヒ省略セムト思ヘドモ力及バズ。
(10[#「10」は縦中横])即遣人隨其往。即[#「即」に白丸傍点]ノ助辭甚力アルヲ以テ、「さらばとて」ト譯セリ。
(11[#「11」は縦中横])南陽劉子驥。此レハ俗物ノ太守ト反對ナル人物ヲ取上ゲ、一ハ人ヲ遣リテ失敗シ、一ハ病死シテ目的ヲ達セズ、之ヲ双ツ列ベタル處ニ面白味アリ。高尚士ヲ氣高キトシタレドモ、内容狹キ感アリ、他ニ適當ノ邦語無之候哉。其人柄及ビ當時此話ヲキヽシ時ノ心持ヲ想像シテ數語ヲ加ヘタリ。
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底本:「讀書※[#「簒」の「ム」に代えて「良」、第4水準2−83−75]餘」みすず書房
1980(昭和55)年6月30日発行
初出:「東光 5号(狩野直喜先生永逝記念)」弘文堂
1948(昭和23)年8月
※「(1)」等は自注番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:はまなかひとし
校正:土屋隆
2006年1月13日作成
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