ないと云ふことは直ぐに分るのであります。斯う云ふ思想があるのは二年三年五年六年ぐらゐは續くか知りませんが、其後には又支那の人心に於きまして新しい或物を求めると云ふやうな時代が出て來るか知れません。要するに支那人と申しまするものは御承知の通り色々の人種が集つたもので、人情風俗習慣みな國々に依つて違つて居りますから之を統一するは非常の困難であるが、兎も角儒教でもつて統一が出來て居つた。漢の武帝以來この新しい代が興りますと必ず儒教を奬勵したのは其爲めである、然るに今日かう云ふ時世になつて公羊學を主張して之れに依つて儒教を以て人心を統一せんとする企圖に同情はするが、それが果して出來るか否は頗る疑問と思ふのであります。
もう少し申し上げたい事もありますが、要するに私の今申し上げましたのは此の革命以來支那の人心に斯う云ふ新しい傾向を持つて來たと云ふことを一寸お話した丈であります。甚だ前後不揃ひでありましたが是で止めて置きます。
[#地から1字上げ](大正三年二月講演、京都經濟會講演集第三號)
底本:「支那學文藪」みすず書房
1973(昭和48)年4月2日発行
初出:「京都經濟會講演集
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