承知の通り幾度もありまして、長くて三百年短かくて五六十年の間で以て一姓が倒れ、他の姓が之に代つて天下の主となると云ふことは歴史の上に決して珍しくないのであります。併し是等の革命もたゞ御承知の通り主權者名字が變つた丈でありまして、支那人の思想即ち政治道徳に關する思想に於きましては何等の變化が無いのであります。即ち從來の革命と申しまするものは堯舜は禪讓でありましたが湯武以來は放伐といふものがあり結局君主の徳が衰へて之を行はなかつたから民心が離反し、別に聰明英智の人間が起つて、さうして前代を倒して別に位號を正しくする譯であるが、禮樂制度は革命によりて變るけれども天下を治むるの道は堯舜禹湯文武の道に相違ないので、革命の起る樣になるのは其道が廢れたからで、之を新主が興すのである。故に支那の革命と云ふことは同時に復古と云ふことを意味するものであります。漢人が天下を取りましても、或は蒙古或は滿洲から起つて天下を取りましても同じ事であります。現に前清には滿洲から起りました康煕とか乾隆の諸帝が如何に此の儒教を奬勵し如何に學問に骨を折つたか、如何に此の兩帝が文武の道を踏襲したかと云ふことは、康煕帝の教育に
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