象ですが其婚禮を學問的に調らべると經書の中の儀禮の中の士昏禮から始めねばならぬ。總べて今日吾々が見る樣な支那人の宗教思想、道徳思想、風俗習慣と云ふものがどう云ふ事から來たかと云ふ事を考へるには、勢、四千年の昔に溯ぼつて古典の研究より發せねばならぬ。而してそれをなすには種々な困難が伴つてゐる、第一先づ文字を知る事、支那の文章を讀むと云ふ事之は非常に六ヶ敷い事で、先にお話した伯林大學の教授が話した事がありますが、自分は希臘語ラテン語もヱジプトの文字も少し知つて居るが併し世界で一番學びにくいものは支那文であると申された。吾々日本人は昔から此漢字を祖先以來習つてゐたのであります、西洋人が支那文字を讀む事に困難を感ずる樣には今日漢文が假令衰へて居つてもそれほどまではない。其點から云つても支那の研究は日本人が率先して致さなければならん。而して之を日本人が西洋人に傳へると云ふ意氣込でなければならんと思ふのであります、我國の支那學者は勿論の事であります、只學者の事業にのみ委かさず凡ての國民が同樣の感じを持つ事が必要である、本校は或極まつた目的を持つて建てられた學校で私が特に希望するのは若し諸君の内支那の貿易と云ふ樣な事をやらうと云ふ人があつたらどうか支那文化の學術的研究と云ふ事は六ヶ敷としても、只實業の點から考へて見ても今日まで我國の人に考へられた支那智識より以上の支那智識を得て支那に於て仕事をせられん事を希望する、然らば其諸君の目的とせらるゝ處の商業其ものに就ても非常に利益する事ではあるまいかと思ひます。
 私は講演が極く拙劣で話を致しまする者も非常に苦しいので傾聽して下さる方は定めし更に御つらいと思ひます、極めて論點が支離滅裂で御解りにくい事と思ふのであります、一場の講演によつて私は責だけを塞ぐ事に致します。(拍手)[#地付き](大正十四年二月、和歌山高等商業學校パンフレツト、特別號)



底本:「支那學文藪」みすず書房
   1973(昭和48)年4月2日発行
初出:「和歌山高等商業學校パンフレツト、特別號」
   1925(大正14)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「餘」と「余」の混在は底本通りにしました。
入力:はまなかひとし
校正:小林繁雄
2006年7月18日作成
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