あると同時に其學問進歩を辿るに純粹の學問と云ふ考へからやらなければならん、歐洲に於ける支那學問の研究に付ても純粹の學問と云ふ立場でやつて居る處の國は先づ佛國であらうかと思ひます。勿論お斷りをして置くが之は極めて概括的議論で純粹の學問をやりましてもそれら應用的部分が全く含まれて居らんと云ふ事もありません、應用的に研究しても其内に學問的の部分がないと云ふ事は云はれんが、概括して云へば先づ學問と實用との二つに分れるかと思ひます。どう云ふ譯で佛國に支那の學問が純粹の學問となつてゐるかと云ふとそれには長い歴史があります、時間の制限がありますので詳しく述べられませんが支那と佛國との關係は最も古かつたのであります、其關係と云ふ事は明の萬暦年間天主教が支那に這入つて天主教の内でもゼシュイット派の僧侶が支那に這入つた、彼等は支那で布教をしようとするのに支那は佛教國と聞かされて居つた、佛教國なれば僧侶の眞似をなすのが一番傳教に都合が良いと云ふので彼等佛教僧侶の着物を着、僧侶の姿をして人民の尊敬を得んとしたが、程なく支那には佛教以外に儒教と云ふものがあると云ふ事を聞いた、而して人民が尊敬して居るのは佛教の僧侶でなく儒者であると云ふ事を聞いた、そこで今度は僧服を脱ぎ儒者の着物を着た、天主教を宣傳するに支那固有の經典を知らなければならん、其道徳文學等も良く知る事が必要である、先づ第一に人民に布教するに自ら漢文を知らなければならんと云ふので支那學を勉強した、斯くする内に斯う云ふ問題が起つた、それは、天主教を宣傳するに神と云ふ名を支那では何んと云つたらよからうと云ふ問題である、支那の經書には神の事を上帝或は上天と云つて居る、それで神の代りに上帝或は上天と云ふ言葉を使ひ更らに支那の社會を見ると支那人は祖先を崇拜する、孔子を祀つて其神位の前に禮拜する。之は一體宗教であるか何んであるか若し之が宗教であつたなれば苟くも天主教に這入る者は此習慣を禁じなければならん、若し宗教でなければ天主教に這入つても此習慣を許しても差支へないと云ふ事から支那の本を讀んで支那人の宗教道徳思想を研究した、そこで彼等は之を解釋していふに之は孝道から來る、父母の生きて居る時には之を養ひ死んでから之を祭ると云ふ事は父母の生存して居る時の態度を死んだ後まで及ぼすので、父母に對する敬意をそれが死んだ後まで延長する意味に過ぎない、孔子に
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