之を度外に置き、學問の何物たるを辨ぜず、又士人以上の稀れに學ぶものも、動もすれば國家の爲めにすと唱へ[#「動もすれば國家の爲めにすと唱へ」に丸傍点]、身を立つるの基たるを知らずして[#「身を立つるの基たるを知らずして」に丸傍点]、或は詞章記誦の末に趨り、空理虚談の途に陷り、其論高尚に似たりと雖、之を身に行ひ事を施すこと能はざるもの少からず、是れ即ち沿襲の餘弊にして、文明普ねからず才藝長ぜずして貧乏破産喪家の徒多き所以也[#「貧乏破産喪家の徒多き所以也」に丸傍点]」とある。學問を國家の爲めにすと唱ふるの非を論じ、學問の目的を生活の爲めとし學問の方法を誤まつて、破産喪家に至るなきを戒しむる所など、今日から見ると中々面白い。高山彦九郎、吉田松陰、櫻田四十七士の事蹟などは、今日でこそ大切な教育の材料となつて居るけれども、御達の主意によると、餘り學ぶべきものでない事になる。この明治初年以來の舊物舊思想破壞は餘りに突飛で、又危險であつたけれども、是れも致方なき事で、かゝる猛烈な改革をやつたればこそ、僅四十餘年で、今日の國運隆盛を來した譯である。支那の如くまだ眞正に西洋の文物を採用せぬ先から、國粹な
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