どを唱ふるのは、早きに失しはしまいかと思はる。併しまた一方から考ふると、數千年以來の固有な文明があつて、根底が深く、一朝に破壞する事の出來ないのは、支那の誇りといつてよいかも知れぬ。物は見方である、支那の文明は借物ではない。
我國の國粹は必ず帝室と關係を有して居る。學問技藝、其他あらゆる文化は一として間接直接に帝室の栽培護持をうけぬものはあるまい。支那の場合は之と違つて、支那の國粹は支那人が古昔から持つて居たもので現朝は異人種で支那人を征服しながら却て支那の文明に征服されて其恩惠に浴した譯である。自國の國粹を貴んだといつて、それが直ちに尊王心と結びつく譯にはいかぬ、右國粹の貴ぶべきを知つたら却つてこれを生じた支那民族の偉大なることを自覺し、愈※[#二の字点、1−2−22]彼等の所謂民族主義を鼓吹するに至るかも知れぬ。前に述べた通り政府では國粹を主張し之によつて朝廷に對する忠義心を養成せんとして居るが、これは出來るかどうか分らぬのである。
[#地から1字上げ](明治四十五年一月、藝文第參年第壹號)
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此稿本年八月京都帝國大學開催夏期講習會に於ける特別講演の要を自記録したものに係る。當時清國禍機未だ發せず、是れ結末唯豫想の語をなす所以なり。十一月二十七日、寄稿者。
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底本:「支那學文藪」みすず書房
1973(昭和48)年4月2日発行
初出:「藝文 第貳年第拾號」
1911(明治44)年7月
「藝文 第參年第壹號」
1912(明治45)年1月
入力:はまなかひとし
校正:小林繁雄
2006年9月15日作成
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