ち非常に森《しん》として来た。身を起して灯火《あかり》を点けると室内はいよいよ静まり返った。そこでふらふら歩き出し、門を閉めに行った。帰って来て寝台の端に腰掛けると、糸車は静かに地上に立っている。彼女は心を定めてあたりを見廻しているうち居ても立ってもいられなくなった。室内は非常に静まり返った、のみならずまた非常に大きくなった、品物が余りになさ過ぎた。
非常に大きくなった部屋は四面から彼女を囲み、非常に無さ過ぎた品物は四面から彼女を圧迫し、遂には喘ぐことさえ出来なくなった。
寶兒はたしかに死んだのだと思うと、彼女はこの部屋を見るのもいやになり、灯火《ともしび》を吹き消して横たわった。彼女は泣いているあの時のことを想い出した。自分は綿糸を紡いでいると、寶兒は側《そば》に坐って茴香豆《ういきょうまめ》を食べている。黒目勝ちの小さな眼を瞠《みは》ってしばらく想い廻《めぐ》らしていたが、「媽《マ》、父《ちゃん》はワンタンを売ったから、わたしも大きくなったらワンタンを売るよ。売ったら売っただけみんなお前に上げるよ」といった。あの時はわたしも紡ぎ出した綿糸がまるで一寸々々皆意味があるように思われた。一寸々々皆生きていた。
だが現在どうであろう。現在のことは実際彼女に取っては何の想出《おもいで》の種ともならない。――わたしは前にも言ったが、彼女は感じの鈍い女だ。感じの鈍い女に何の想出があろう。ただこの部屋は非常に静かだ。非常に大きい。非常にガランとしているとだけ、感じればそれでいいのだ。
しかし感じの鈍い單四嫂子も魂は返されぬものくらいのことは知っているから、この世で寶兒に逢うことは出来ぬものと諦めて、太息《といき》を洩らして独言《ひとりごと》をいった。
「寶兒や、わたしの夢に現われておくれ、お前はやっぱりこの土地に残っていてね」
そこで眼をつぶって早く眠って寶兒に会おうとすると、自分の苦しい呼吸がこの静かなガランドウの中を通過するそれがハッキリ聞こえた。
單四嫂子は遂にうつらうつらと夢路に入《い》った。室内は全く森閑とした。
この時、隣の赤鼻の小唄がちょうど終りを告げた頃で、二人はふらふらよろよろと咸亨酒店を出たが、老拱はもう一度喉を引搾って唱い出した。
「憎くなるほど、可愛いお前、一人でいるのは淋しかろ」
「アハハハハハ」
藍皮阿五は手を伸ばして老拱の肩を叩き、
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