は衆《みな》と一緒に金の催促にはゆかない。やはりいつものようにお役所の中に坐り込んでいる。彼は一人偉がっているのじゃないかと疑う人もあったが、それは一種の誤解に過ぎない。彼自身の説に拠ると、生れてこの方、人は彼に向って借金の催促をするが、彼は人に向って貸金の催促をしたことがない。だからこの点においては「長ずる処にあらず」。その上彼は手に経済の権を握る人物が大嫌いだ。この種の人物はいったん権勢を失って、大乗起信論を捧《ささ》げ、仏教の原理を講ずる時にはもちろんはなはだ「藹然親しむべき」ものがある。けれど未《いま》だ宝座の上にある時には結局一つの閻魔面《えんまづら》で、他人は皆奴隷のように見え、自分ひとりがこの見すぼらしい奴の生殺の剣を握っていると思っている。そういうわけで彼はこの種の人物を見るのもいやだし、また見たいとも思っていない。この気癖《きぐせ》が時に依ると、自分ながらも一人離れて偉く見えるが、同時に実は本領がないのじゃないかと疑うことがある。
 誰も彼も左を求め右を求め、一|節期《せつき》一節期を愚図々々《ぐずぐず》に押し通して来たが、方玄綽などは以前に比べるととてもあがきが取り
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