えれば皆然り』思想も言論も挙動も風采も元より大した区別のあるものではなく、すなわち学生団体の新《あらた》に起した許多《きょた》の事業は、すでに弊害を免れ難く、その大半は線香花火のように消滅したではないか。全く大差無しである。ただし中国将来の考慮すべき事はすなわちここにあるので……」
講堂の中には二十名余りの学生が散在していた。ある者はいかにもそうだ、というような顔付した。この話を好いと思ったのだろう。ある者は憤然とした。青年の神聖を侮辱すると思ったのだろう。他の幾人は微笑を含んで彼を見た。おおかた彼自身の弁解とこれを見たのだろう。方玄綽は官僚を兼ねていたからである。
しかしこの推定は皆誤りであった。実際これは彼の新不平に過ぎないので、不平を説いてはいるが、彼の分に安《やすん》ずる一種の空論にしかあり得ない。彼は自分では気がつかないが、怠け者のせいか、それともまた役に立たないせいか、とにかく運動を肯《がえん》じないで、分に安じ己《おのれ》を守る人らしく見えた。大臣は彼に神経病があるのを罪無きものに思い、彼の地位に動揺を来さないから、彼は一|言《ごん》も言い出さないのだ。教員の月給が半
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