、あの船で一緒に行こう、と皆立上った。わたしはようやく元気づいた。けれど外祖母は子供だけじゃ安心が出来ないと言った。母親も、「誰《た》れか一人大人を附けてやりましょう」と言ったが、大人は昼の仕事に労《つ》かれているので、夜頼むわけにはゆかない。どうしようかと考えている中《うち》に、雙喜はまた何かいい事を想いついたようで大声上げて言った。
「わたしが引受けます。船は大きいし、迅《じん》ちゃんはおとなしいし、わたしどもは泳ぎがうまいし、こんなら大丈夫です」
まったくそうだ。この十幾人の子供は実際一人だって、鴨の仲間でない者はない。その上二三人は大潮を乗切った者さえある。
外祖母も母親もようやく安心して今はもう何とも言わずにただ笑っていた。わたしどもは一斉に立上っておめき叫んで門を出た。
わたしの重苦しい心は、急に軽く晴れやかになった。身体ものびのびして大きくなったように思われた。門を出ると月下の平橋《へいきょう》には白い苫船《とまぶね》が繋《もや》っていた。みんなは船に跳び込んだ。雙喜は前の棹を引抜き、阿發《あはつ》は後ろの棹を抜いた。年弱《としよわ》の子供は皆わたしに附いて中の間に坐った。年上の子供は船尾に聚《あつま》っていた。母親は送って来て「気をつけておいでよ」と言った時には、もう船は出ていた。橋石にぶつかって二三尺|退《しりぞ》いたが、すぐまた前に進んで橋を通り抜けた。そこで二|梃《ちょう》の櫓《ろ》をつけて、一梃に二人がかかって一里|行《ゆ》くと交替した。笑う者もあった、喋舌《しゃべ》る者もあった。その声は水を切って行《ゆ》く音と入り交った。左右はみな青々とした豆麦の畑をとおす河中に、われわれは飛ぶが如く趙荘さして進んだ。
両岸の豆麦と河底の水草から発散する薫《かおり》は、水気の中に入りまじって面《おもて》を撲《う》って吹きつけた。月の色はもうろうとしてこの水気の中に漂っていた。薄黒いデコボコの連山は、さながら勇躍せる鉄の獣《けだもの》の背にも似て、あとへあとへと行《ゆ》くようにも見えた。それでもわたしは船脚《ふなあし》がのろくさくさえ思われた。彼等は四度《よたび》手を換えた時、ようやく趙荘がぼんやり見え出して、歌声もどうやら聞えて来た。幾つかの火は舞台の明りか、それともまた漁りの火か。
あの声はたぶん横笛だろう。宛転悠揚《えんてんゆうよう》としてわたしの心を押し沈め、我れを忘れていると、それは豆麦や藻草の薫《かおり》の夜気《やき》の中に、散りひろがってゆくようにも覚えた。
その火は近づいた。果して漁り火だった。わたしが今し方見たのは趙荘ではなかった。それは一叢《ひとむれ》の松林で、わたしは去年遊びに来て知っていたが、今も壊れた石馬《せきば》が河端《かわばた》にのめって、一つの石羊《せきよう》が草の中にうずくまっていた。この林を越すと、船はぐるりと廻ってまた港に入《い》り、そこで初めて趙荘が見えた。
何よりも先《さ》きに眼に入《い》ったのは村の端《はず》れの河添いの空地に突立っている一つの舞台だ。ぼんやりとした遠くの方の月夜の中で、空間《くうかん》の諸物がほとんどハッキリ分界していなかった。わたしは画《え》の中の仙境がここへ出現したのかと思った。この時船はいっそう早く走って、まもなく舞台の人が見え、赤い物や青い物が動いて舞台の側の河の中に真黒《まっくろ》に見えるのは、見物人の船の苫《とま》だ。
「前の方に空間《あきま》がないから俺達は遠くの方で見よう」と阿發が言った。
船はここまで来ると、ゆっくり漕ぎ出して、だんだん側に近づいてみると果たして空間《あきま》がなかった。みんなが棹をおろしたところは、舞台の正面からはずいぶん離れていた。正直に言うと、わたしどもの白苫《しろとま》の船は黒苫《くろとま》の船の側へ行《ゆ》くのはいやなんだ。まして空間《あきま》がないのだから。
停船の間際に舞台の上を見ると黒い長※[#「髟/胡」、239−1]の男が、四つの旗《はた》を背に挿して、長槍をしごき、腕を剥き出した大勢の男と戦いの最中であった。
「あれは名高い荒事師《あらごとし》だ。蜻蛉《とんぼ》返りの四十八手が皆出来るんだよ。昼間幾度も出た」と雙喜は言った。
わたしどもは皆|船頭《みよし》に立って戦争を見ていたが、その荒事師は決して蜻蛉返りをしなかった。ただ腕を剥き出した男が四五人、逆蜻蛉を打つと皆引込んでしまった。続いて一人の女形《おやま》が出てイーイーアーアーと唱った。雙喜はまた言った。
「夜は見物が少いから、荒事師は怠けているのだ。誰だってしんそこの腕前を無駄に見せるのはいやだからね」
全くそうだった。その時舞台の下にはあまり多くの人を見なかった。田舎者はあすの仕事があるから、夜になると我慢が出来ず皆|睡《ねむ》りに行った。ちらばら立っているのはこの村と隣の村の閑人であった。黒い苫船の中に立っているのはいうまでもなく村の物持の家族であった。けれど彼等は芝居を見ているのではなかった。大抵はそこでお菓子や果物や瓜などを食べていた。だから平たく言えば見物が無いと言ってもいいくらいで、雙喜が無駄だといったのも無理はない。
わたしは格別、逆蜻蛉を見たいとも思わなかった。わたしの見たいのは、役者が白い布《きれ》をかぶって一つの蛇のような蛇の精を両手に捧げているのと、もう一つは黄いろい著物《きもの》を著《き》た虎のような虎が躍り出すことである。わたしはそれをいつまでも待っていたが遂に見ることが出来なかった。女形《おやま》が引込むと、今度は皺だらけの若旦那が出て来た。わたしはもう退屈して桂生《けいせい》に吩咐《いいつ》け豆乳を買いにやった。桂生はすぐ返って来た。
「ありません。豆乳屋の聾《つんぼ》は帰ってしまいました。昼間はあったんですがね、わたしは二杯食べました。仕方がない。お湯を一杯貰って来て上げましょうか」
わたしはお湯も飲まずになお突立って芝居を見ていた。それも何を見たとハッキリ言うことが出来ないが、役者の顔がだんだん変槓《へんてこ》のものになって、五官の働きがあるのだか、ないのだか、何もかも一緒くたになって区別がつかなかった。小さな子供は勝手に自分の話をしていた。するとたちまち一人の赤い薄ぎぬを著た道化役が舞台の柱に縛られて胡麻塩※[#「髟/胡」、240−11]の者から鞭で打たれた。みんなはようやく元気づいて笑い出した。これはその一晩の中で、一番いい幕だった。そうこうしているうちに、ふけおやまが出た。
ふけおやまはわたしの大嫌いなもので、何よりも坐って歌を唱うのがいやだ。この時ほかの見物人も皆いやな顔をしていたから、あの人達の考えもわたしと同じであることを知った。そのおやまは初めしずしず歩いて唱っていたが、しまいにとうとう真中の椅子の上に坐った。わたしはうんざりした。雙喜や他の人達もぶつぶつ言いだした。わたしは我慢してしばらく見ているとその役者は手を挙げたので立って行《ゆ》くのか、と思ったところが、いやはや、やっぱりもとの処で長々しく唱い続けた。船の中の者はみんな溜息を吐《つ》いたり欠伸《あくび》をしたり。雙喜は終《つい》に堪えかね、「こいつはあしたまで続きそうだぜ。もう帰ろうじゃないか」というと、みんなはすぐに賛成して、勇ましく立上がり、三四人は船尾へ行って棹を抜き、幾丈《いくじょう》か後すざりして船を廻し、ふけおやまを罵りながら、松林に向って進んだ。
月はまだ残っていた。見物した時間はあまり長くもないらしかった。趙荘を出ると月の光はいっそうあざやかになった。ふりかえって見ると舞台は燈火の中に漂渺《ひょうびょう》として、一つの仙山楼閣《かいやぐら》を形成し、来がけにここから眺めたものと同様に赤い霞が覆いかぶさり、耳のあたりに吹き寄せる横笛は極めて悠長であった。わたしはふけおやまがもう引込んだにちがいないとは思ったが、まさかもう一度見せてくれとも言えなかった。
まもなく松林は後ろの方になった。船あしは決して遅くもなかったが、あたりは黒く濃く、夜更であることが知れた。彼等は芝居を罵り笑いながら船を漕いだ。すると舳《じく》に突当る水の音が一際《ひときわ》あざやかに、船はさながら一つの大白魚《たいはくぎょ》が一群の子供を背負うて浪の中に突入するように見えた。夜どおし魚を取っている爺さん連《れん》は船を停めてこちらを眺めて思わず喝采した。
平橋までは一里もあるらしかった。漕ぎ手も皆つかれた。無暗に力を出した上になんにも食わないからだ。その時桂生はいいことに気がついた。羅漢豆《らかんまめ》が今出盛りだぜ。火があるからちょっと失敬して煮て食おう。みんなは賛成した。すぐ船を岸へつけておかに上《あが》った。田の中には真黒に光ったものがあった。それは今実を結んだ羅漢豆であった。
「あ、あ、阿發、この辺はお前の家《うち》の地面だぜ。あの辺が六一爺《ろくいちおやじ》の地処だ。俺達はそいつを取ってやろう」
真先におかへ上《あが》っていた雙喜は言った。われわれは皆おかへ上《あが》った。阿發は跳ね上《あが》って
「ちょっと待ってくれ、乃公《おれ》に見せてくれ」
彼は行ったり来たりしてさぐってみたが、急に身を起して
「乃公の家《うち》のがいいよ。大きいからね」
この声をきくと皆はすぐに阿發の家《うち》の豆畑へ入った。めいめい一抱えずつもぎ取って船の中へ投げ込んだ。雙喜はあんまり多く取って阿發のお袋に叱られるといけないと思ったので、皆を六一爺さんの畑の方へやってまた一抱えずつ偸《ぬす》ませた。
年上の子供はまたぶらぶら船を漕ぎ出した。他の者は船室の後ろで火を起した。年弱《としよわ》の者はわたしと一緒に豆を剥いた。まもなく豆は煮えた。みんなは船をやりっ放しにして真中に集まって、撮《つま》んで食った。食ってしまうとまた船を出した。道具を片附けて豆殻《まめがら》は皆河の中へ棄てた。何の痕跡も残さなかったが、雙喜は八おじさん(船の持主)の塩と薪を使ったことを心配した。あのおやじはこまかいからね、きっと嗅ぎつけて怒鳴って来るにちがいない。
みんなそこでいろんな意見を吐いたが、結局、構うもんか、もしあいつが何とか言ったら、去年あいつが陸《おか》へ上《あが》って櫨《はぜ》の枯木を持って行ったからそれを返せと言ってやるんだ。そうして眼の前で、八の禿頭を囃してやるんだ。
「家《うち》へ帰れば大丈夫だよ。乃公が保証する」
と雙喜は船頭《みよし》に立って叫んだ。わたしはみよしの方を見ると、前はもう平橋であった。橋の根元に人が一人立っていたがそれは母親であった。雙喜はわたしの母親に向って何か言ったが、わたしも前艙《いちのま》の方へ出た。船は平橋に来て停った。われわれはごたごた陸《おか》へ上《あが》った。母親は少し不機嫌で、十二時過ぎても帰らないからどうしたのかと思ったよ、とは言ったが、それでも元気よくみんなをよんで、炒米《いりごめ》を食わせた。みんなはもうおやつを食べているし、眠くはあるし、早く帰って寝たかったので、すぐに散り散りに別れた。
次の日、わたしは昼頃になってようやく起きた。八おじさんの塩薪事件は何の問題も引起さなかった。午後はやはり蝦釣りに行った。
「雙喜、てめえ達はきのう乃公の豆を偸んだろう。いけねえなあ、たくさん偸んだ上に、あんなに踏み荒しては」
わたしは首を挙げて見ると、六一爺さんは、小船に棹さして豆売からの帰りがけらしく、船の中にまだたくさんの豆が残っていた。
「ええ、わたしどもは御馳走になったよ。初めはお前のとこのものは、要らなかったんだが、ね、御覧、お前はわたしの蝦を嚇《おど》かして逃してしまったよ」と雙喜は言った。
「御馳走か――ちげえねえ」六一爺さんはわたしを見ながら櫂をとめて笑った。
「迅ちゃん、きのうの芝居は面白かったかね」
わたしは頷いて「ええ」と答えた。
「豆はうまかったかね」
「ああ大変うまかったよ」
六一爺さんは非常に感激して、親指をおこして、得意になって喋舌った。
「さすがは大どこ
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