荘にいくらかお金を出して一緒に芝居を打つのである。その時分わたしは、彼等が何のために毎年《まいねん》芝居を催すか、ということについて一向|無頓著《むとんじゃく》であったが、今考えてみると、あれはたぶん春祭《はるまつり》で里神楽《さとかぐら》(社戯《ツエシー》)であったのだ。
 とにかくわたしの十一二歳のこの一年のその日はみるみるうちに到著した。ところがその年は本当に残念だった。早く船を頼んでおけばよかったのに、平橋村にはたった一つ大きな船があるだけで、それは朝出て晩に帰る交通機関で、決してよそ事には使えなかった。そのほか小船はあるにはあるが、使い途《みち》にならない。隣の村に人をやって訊いてみたが、もうみんな約束済であいてる船は一つもない。外祖母は大層腹を立て、なぜ早く注文しておかないのだ、と家《うち》の者を叱り飛ばした。母親は外祖母を撫《なだ》めて、「わたしども魯鎮は、小さな村の割合に芝居を多く見ているのですよ。一遍ぐらいどうだっていいじゃありませんか」と押止《おしとど》めた、だが、わたしは泣きだしそうになった。母親は勢限《せいかぎ》りわたしをたしなめて、「決していやな顔をしちゃいけませんよ。おばあさんが怒ると大変です」と言って、それから誰《たれ》とも一緒に行《ゆ》くことを許さなかった。「おばあさんに心配させるものではありません」とまたあとで言った。
 それはそれでとにかくおさまったが、午後になるとわたしの友達は皆行ってしまった。芝居はもう開《あ》いているのだ。わたしは遠音《とおね》に囃《はやし》を聞いて、「今頃は友達が舞台の下で、豆乳を買って食べてるな」と想った。
 その日は一日、釣りにも行《ゆ》かず物もあまり食べないで母親を困らせた。晩飯の時分には外祖母もとうとう気がついて、この子がすねるのも無理はないよ。あの人達はあんまり無作法だ。お客に対する道を知らないといって嘆息した。
 飯を食ってしまうと、芝居を見に行った子供達は皆帰って来た、そうして面白そうにきょうの芝居の話をした。ただわたしだけは口もきかずに沈んでいると、彼等は皆嘆息して気の毒がった。
 雙喜《そうき》という子供は中でも賢い方であったが、たちまち何か想い出して、「大船ならあれがあるぜ。八叔《はちおじ》の通い船《ぶね》は、帰って来ているじゃないか」
 十幾人のほかの子供はこの言葉に引かされて勇み立ち、あの船で一緒に行こう、と皆立上った。わたしはようやく元気づいた。けれど外祖母は子供だけじゃ安心が出来ないと言った。母親も、「誰《た》れか一人大人を附けてやりましょう」と言ったが、大人は昼の仕事に労《つ》かれているので、夜頼むわけにはゆかない。どうしようかと考えている中《うち》に、雙喜はまた何かいい事を想いついたようで大声上げて言った。
「わたしが引受けます。船は大きいし、迅《じん》ちゃんはおとなしいし、わたしどもは泳ぎがうまいし、こんなら大丈夫です」
 まったくそうだ。この十幾人の子供は実際一人だって、鴨の仲間でない者はない。その上二三人は大潮を乗切った者さえある。
 外祖母も母親もようやく安心して今はもう何とも言わずにただ笑っていた。わたしどもは一斉に立上っておめき叫んで門を出た。
 わたしの重苦しい心は、急に軽く晴れやかになった。身体ものびのびして大きくなったように思われた。門を出ると月下の平橋《へいきょう》には白い苫船《とまぶね》が繋《もや》っていた。みんなは船に跳び込んだ。雙喜は前の棹を引抜き、阿發《あはつ》は後ろの棹を抜いた。年弱《としよわ》の子供は皆わたしに附いて中の間に坐った。年上の子供は船尾に聚《あつま》っていた。母親は送って来て「気をつけておいでよ」と言った時には、もう船は出ていた。橋石にぶつかって二三尺|退《しりぞ》いたが、すぐまた前に進んで橋を通り抜けた。そこで二|梃《ちょう》の櫓《ろ》をつけて、一梃に二人がかかって一里|行《ゆ》くと交替した。笑う者もあった、喋舌《しゃべ》る者もあった。その声は水を切って行《ゆ》く音と入り交った。左右はみな青々とした豆麦の畑をとおす河中に、われわれは飛ぶが如く趙荘さして進んだ。
 両岸の豆麦と河底の水草から発散する薫《かおり》は、水気の中に入りまじって面《おもて》を撲《う》って吹きつけた。月の色はもうろうとしてこの水気の中に漂っていた。薄黒いデコボコの連山は、さながら勇躍せる鉄の獣《けだもの》の背にも似て、あとへあとへと行《ゆ》くようにも見えた。それでもわたしは船脚《ふなあし》がのろくさくさえ思われた。彼等は四度《よたび》手を換えた時、ようやく趙荘がぼんやり見え出して、歌声もどうやら聞えて来た。幾つかの火は舞台の明りか、それともまた漁りの火か。
 あの声はたぶん横笛だろう。宛転悠揚《えんてんゆうよう》としてわ
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