、志向、希望、前途がただ一筆で棒引されてしまった。閑人のお布《ふ》れが行届《ゆきとど》いて、小D、王※[#「髟/胡」、175−12]などに話の種を呉れたのは、やっぱり今度の事であった。
彼はこのような所在なさを感じたことは今まで無いように覚えた。彼は自分の辮子を環《わが》ねたことに[#「に」は底本では欠落]ついて無意味に感じたらしく、侮蔑をしたくなって復讎の考《かんがえ》から、立ちどころに辮子を解きおろそうとしたが、それもまた遂にそのままにしておいた。彼は夜になって遊びに出掛け、二杯の酒を借りて肚の中に飲みおろすと、だんだん元気がついて来て、思想の中に白鉢巻、白兜のカケラが出現した。
ある日のことであった。彼は常例に依り夜更けまでうろつき廻って、酒屋が戸締をする頃になってようやく土穀祠《おいなりさま》に帰って来た。
「パン、パン」
彼はたちまち一種異様な音声をきいたが爆竹では無かった。一たい彼は賑やかな事が好きで、下らぬことに手出しをしたがる質《たち》だから、すぐに暗《やみ》の中を探って行《ゆ》くと、前の方にいささか足音がするようであった。彼は聴耳《ききみみ》立てていると、いきなり一人の男が向うから逃げて来た。彼はそれを見るとすぐに跡に跟いて馳け出した。その人が曲ると阿Qも曲った。曲ってしまうとその人は立ちどまった。阿Qもまた立ちどまった。阿Qは後ろを見ると何も無かった。そこで前へ向って人を見ると小Dであった。
「何だ」阿Qは不平を起した。
「趙……趙家がやられた。[#底本では「。」が重複]掠奪……」小Dは息をはずませていた。
阿Qも胸がドキドキした。小Dはそう言ってしまうと歩き出した。阿Qはいったん逃げ出したものの、結局「その道の仕事をやった」事のある人だから殊の外度胸が据《すわ》った。彼は路角《みちかど》に躄《いざ》り出て、じっと耳を澄まして聴いていると何だかざわざわしているようだ。そこでまたじっと見澄ましていると白鉢巻、白兜の人が大勢いて、次から次へと箱を持出し、器物を持出し、秀才夫人の寧波《ニンポウ》寝台《ねだい》をもち出したようでもあったがハッキリしなかった。
彼はもう少し前へ出ようとしたが両脚が動かなかった。
その夜《よ》は月が無かった。未荘は暗黒の中に包まれてはなはだしんとしていた。しんとしていて羲皇《ぎこう》の頃のような太平であった。阿Qは立っているうちにじれったくなって来たが、向うではやはり前と同じように、往ったり来たりしているらしく、箱を持ち出したり器物を持ち出したり、秀才夫人の寧波《ニンポウ》寝台を持ち出したり……
持ち出したと言っても、彼は自分でいささか自分の眼を信じなかった。それでも一歩前へ出ようとはせず、結局自分の廟《おみや》の中に帰って来た。
土穀祠《おいなりさま》の中は、いっそうまっ闇《くら》だった。彼は大門をしっかり締めて、手探りで自分の部屋に入り、横になって考えた。こうして気を静めて自分の思想の出どころを考えてみると、白鉢巻、白兜の人は確かに著《つ》いたが、決して自分を呼び出しには来なかった。いろんないい品物は運び出されたが、自分の分け前はない。これは全く偽毛唐が悪いのだ。彼は乃公に謀叛を許さない。謀叛を許せば、今度乃公の分け前がないことはないじゃないか? 阿Qは思えば思うほど、イライラして来て耐《こら》え切れず、おもうさま怨んで毒々しく罵った。
「乃公には謀叛を許さないで、自分だけが謀叛するんだな。馬鹿、偽毛唐! よし、てめえが謀叛する。謀叛すれば首が無いぞ。乃公はどうしても訴え出てやる。てめえが県内に引廻されて首の無くなるのを見てやるから覚えていろ。一家一族皆殺しだ。すぱり、すぱり」
第九章 大団円
趙家が掠奪に遭ってから、未荘の人は大抵みな小気味よく思いながら恐慌を来《きた》した。阿Qもまたいい気味だと思いながら内々恐れていると、四日過ぎての真夜中に彼はたちまち城内につまみ出された。その時はしんの闇夜で、一隊の兵士と一隊の自衛団と一隊の警官と五人の探偵がこっそり未荘に到著して闇に乗じて土穀祠《おいなりさま》を囲み、門の真正面に機関銃を据えつけたが、阿Qは出て来なかった。
しばらくの間、様子が皆目知れないので、彼等は焦らずにはいられなかった。そこで二万銭の賞金を懸けて二人の自衛団が危険を冒してやっとこさと垣根を越えて、内外相応じて一斉に闖入《ちんにゅう》し、阿Qを抓《つま》み出して廟《おみや》の外の機関銃の左側に引据えた。その時彼はようやくハッキリ眼が醒めた。
城内に著いた時には已に正午であった。阿Qは自分で自分を見ると、壊れかかったお役所の中に引廻され、五六遍曲ると一つの小屋があって、彼はその中へ押し込められた。彼はちょっとよろけたばかりで、丸
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