だん不平が高じて来た。彼は近頃怒りッぽくなった。実際彼の生活は謀叛前よりはよほど増しだ。人は彼を見ると遠慮して、どこの店でも現金は要らないという、だが阿Qは結局少からざる失望を感じた。もう革命を済ましたのに、こんなわけはないはずだ。そうして一度小Dを見るといよいよ彼の肚の皮が爆発した。
 小Dもまた頭の上に辮子をわがねた。しかもかつあきらかに一本の竹箸を挿していた。阿Qはこんなことを彼が仕出かそうとは全く思いも依らぬことだった。自分としてもまた彼がこのような事するのは決して許されない。小Dは何者だろう? 阿Qはすぐにも小Dに引掴んで、彼の竹箸を捻じ折り、彼の辮子をほかして、うんと横面を引ッぱたいて、彼が生年月日時の八字を忘れ、図々しくも革命党に入って来た罪を懲らしめてやりたくなって溜らなくなったが、結局それも大目に見て、ベッと唾を吐き出し、ただ睨みつけていた。
 この幾日の間、城内に入ったのは偽毛唐一人だけであった。趙秀才は箱を預ったことから、自身挙人老爺を訪問したくは思っていたが、辮子を剪られる危険があるので中止した。彼は一封の「黄傘格《こうさんかく》」の手紙(柿渋引《かきしぶびき》の方罫紙《ほうまいし》?)を書いて、偽毛唐に託して城内に届けてもらい、自分を自由党に紹介してくれと頼んだ。偽毛唐が帰って来た時には、秀才は四元の銀を払って胸の上に銀のメダルを掛けた。未荘の人は皆驚嘆した。これこそ柿油党《すーゆーたん》(自由と同音、柿渋《かきしぶ》は防水のため雨傘に引く、前の黄傘格に対す)の徽章《きしょう》で翰林《かんりん》を抑えつけたんだと思っていた。趙太爺は俄《にわか》に肩身が広くなり倅が秀才に中《あた》った時にも増して目障りの者が無い。阿Qを見ても知らん顔をしている。
 阿Qは不平の真最中に時々零落を感じた。銀メダルの話を聴くと彼はすぐに零落の真因を悟った。革命党になるのには、投降すればいいと思っていたが、それが出来ない。辮子を環《わが》ねればいいと思ったがそれも駄目だ。第一、革命党に知合がなければいけないのだが、彼の知っている革命党はたった二つしか無かった。その一つは城内でバサリとやられてしまった。今はただ偽毛唐一人を知っているだけで、その毛唐の処へ、相談に行《ゆ》くより外は無かった。
 錢家の大門は開け拡げてあった。阿Qは、おっかなびっくり入って行った。彼は中へ入りかけて非常に驚いたのは、偽毛唐がちょうど広場のまん中に突立って、真黒な洋服を著て、銀メダルを附けて、手にはかつて阿Qを懲らしめたステッキを持って、一尺余りの辮子を披《ひら》いて方の上に振り下げ、まるで蓬々髪《ほうほうがみ》の劉海《りゅうはい》仙人のような恰好で立っていたのだ。向き合って立っていたのは、趙白眼の外三人の閑人で、ちょうど今恭々しくお話を伺っているところだ。
 阿Qはこっそり近寄って趙白眼の後ろに立ち、心の中ではお引立に預かろうと思っているんだが、さて何と言ったらいいものか、言い出す言葉を知らなかった。
 彼を偽毛唐というのはもとより好くないことだ。西洋人も穏かでない。革命党も穏かでない。洋先生《やんしいさん》といえばあるいはいいかもしれない。
 洋先生は眼を白黒して、ちょうど講義の真最中であったから、阿Qに眼も呉れない。
「乃公はせっかちだから顔を見るとすぐに言った。洪《こう》君! われわれは著手《ちゃくしゅ》しよう。しかし彼は結局 No《ノー》 と言った。これは洋語だからお前達には分らない。そうでなければもっと早く成功したんだぞ。とにかく、これは彼が大事を取って仕事をした方面なんだ。彼等は再三再四湖北に行ってくれと乃公に頼んだが、乃公はそれでも承知しないくらいだ。誰がこんな小っぽけな県城の中で事を起そうと願う奴があるもんか……」
「えーと、こーつ」阿Qは彼の話が途切れたひまに精一杯の勇気を振起《ふりおこ》して口をひらいた。だが、どうしたわけか洋先生と、彼を喚ぶことが出来なかった。
 話を聴いていた四人の者は喫驚《びっくり》して阿Qの方を見た。洋先生もようやく彼に目をとめた。
「何だ」
「わたし……」
「出て行《ゆ》け」
「わたしも……に入りたい」
「生意気いうな。ころがり出ろ」と洋先生は人泣かせ棒を振上げた。
 趙白眼と閑人は口を揃えて怒鳴った。
「先生がころがり出ろと被仰《おっしゃ》るのに、てめえは肯《き》かねえのか」
 阿Qは頭の上に手を翳《かざ》して、覚えず知らず門外に逃げ出した。洋先生は追い馳けても来なかった。阿Qは六十歩余りも馳け出してようやく歩みを弛《ゆる》め心の中で憂愁を感じた。洋先生が彼に革命を許さないとすると、外に仕様がない。これから決して白鉢巻、白兜の人が彼を迎えに来るという望《のぞみ》を起すことが出来ない。彼が持っていた抱負
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