船はとりもなおさず大不安を未荘に運んでくれて、昼にもならぬうちに全村の人心は非常に動揺した。船の使命はもとより趙家の極秘であったが、茶館や酒屋の中では、革命党が入城するので、挙人老爺がわれわれの田舎に避難して来たと、皆言った。ただ鄒七嫂だけはそうとは言わず、あれは詰らぬガラクタ道具や襤褸《ぼろ》著物を入れた箱で挙人老爺が保管を頼んで来たが、趙太爺が突返してしまったんですと言った。実際挙人老爺と趙秀才はもとからあんまり仲のいい方ではないので「しん身の泣き寄り」などするはずがない。まして鄒七嫂は趙家の隣にいるので見聞《けんもん》が割合に確実だ。だから大概彼女の言うことには間違いがない。
 そういうものの、謡言《ようげん》はなかなか盛んだ。挙人老爺は自身来たわけではないが長い手紙を寄越して趙家と「仲直り」をしたらしい。趙太爺は腹の中が一変して、どうしても彼に悪い処がないと感じたので箱を預り、現に趙太太の床《とこ》の下を塞いでいる。革命党のことについては、彼等はその晩城に入って、どれもこれも白鉢巻、白兜で、崇正《すうせい》皇帝の白装束を著ていたという。
 阿Qの耳朶の中にも、とうから革命党という話を聞き及んで、今年また眼《ま》ぢかに殺された革命党を見た。彼はどこから来たかしらん、[#「、」は底本では「。」]一種の意見を持っていた。革命党は謀反人だ、謀反人は俺はいやだ、悪《にく》むべき者だ、断絶すべき者だ、と一途にこう思っていた。ところが百里の間に名の響いた挙人老爺がこの様に懼《おそ》れたときいては、彼もまたいささか感心させられずにはいられない。まして村鳥のような未荘の男女が慌て惑う有様は、彼をしていっそう痛快ならしめた。
「革命も好《よ》かろう」と阿Qは想った。
「ここらにいる馬鹿野郎どもの運命を革《あらた》めてやれ。恨むべき奴等だ。憎むべき奴等だ……そうだ、乃公も革命党に入ってやろう」
 阿Qは近来生活の費用に窘《くる》しみ内々かなりの不平があった。おまけに昼間飲んだ空《す》き腹《ばら》の二杯の酒が、廻れば廻るほど愉快になった。そう思いながら歩いていると、身体がふらりふらりと宙に浮いて来た。どうした機《はずみ》か、ふと革命党が自分であるように思われた。未荘の人は皆彼の俘虜《とりこ》となった。彼は得意のあまり叫ばずにはいられなかった。
「謀反だぞ、謀反だぞ」
 未荘の人は皆
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