りを入れた。――ただし趙家の閾《しきい》だけは跨《また》ぐことが出来ない――何しろ様子がすこぶる変なので、どこでもきっと男が出て来て、蒼蝿《うるさ》そうな顔付《かおつき》を見せ、まるで乞食《こじき》を追払《おっぱら》うような体裁で
「無いよ無いよ。向うへ行ってくれ」と手を振った。
 阿Qはいよいよ不思議に感じた。
 この辺の家《うち》は前から手伝が要るはずなんだが、今急に暇になるわけがない。こりゃあきっと何か曰くがあるはずだ、と気をつけてみると、彼等は用のある時には小DON《しょうドン》をよんでいた。この小Dはごくごくみすぼらしい奴で痩せ衰えていた。阿Qの眼から見ると王※[#「髟/胡」、149−6]よりも劣っている。ところがこの小わッぱめが遂に阿Qの飯碗を取ってしまったんだから、阿Qの怒《いかり》尋常一様のものではない。彼はぷんぷんしながら歩き出した。そうしてたちまち手をあげて呻《うな》った。
「鉄の鞭で手前を引ッぱたくぞ」
 幾日かのあとで、彼は遂に錢府《せんふ》の照壁(衝立《ついたて》の壁)の前で小Dにめぐり逢った。「讎《かたき》の出会いは格別ハッキリ見える」もので、彼はずかずか小Dの前に行《ゆ》くと小Dも立止った。
「畜生!」阿Qは眼に稜《かど》を立て口の端へ沫《あわ》を吹き出した。
「俺は虫ケラだよ。いいじゃねぇか……」と小Dは言った。
 したでに出られて阿Qはかえって腹を立てた。彼の手には鉄の鞭が無かった。そこでただ殴るより仕様がなかった。彼は手を伸して小Dの辮子を引掴むと、小Dは片ッぽの手で自分の辮根《べんこん》を守り、片ッぽの手で阿Qの辮子を掴んだ。阿Qもまた空いている方の手で自分の辮根を守った。
 以前の阿Qの勢《いきおい》を見ると小Dなど問題にもならないが、近頃彼は飢餓のため痩せ衰えているので五分々々の取組となった。四つの手は二つの頭を引掴んで双方腰を曲げ、半時間の久しきに渡って、錢府の白壁の上に一組の藍色の虹形《にじがた》を映出《えいしゅつ》した。
「いいよ。いいよ」見ていた人達はおおかた仲裁する積りで言ったのであろう。
「よし、よし」見ている人達は、仲裁するのか、ほめるのか、それとも煽《おだ》てるのかしらん。
 それはそうと二人は人のことなど耳にも入らなかった。阿Qが三歩進むと小Dは三歩|退《しりぞ》き、遂に二人とも突立った。小Dが三歩進むと阿
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