。ひょっとするとこれは支那《しな》の精神文明が全球第一である一つの証拠かもしれない。
見たまえ。彼はふらりふらりと今にも飛び出しそうな様子だ。
しかしながらこの一囘の勝利がいささか異様な変化を彼に与えた。彼はしばらくの間ふらりふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと土穀祠《おいなりさま》に入った。常例に拠るとそこですぐ横になって鼾《いびき》をかくんだが、どうしたものかその晩に限って少しも睡れない。彼は自分の親指と人差指がいつもよりも大層|脂漲《あぶらぎ》って変な感じがした。若い尼の顔の上の脂が彼の指先に粘りついたのかもしれない。それともまた彼の指先が尼の面《つら》の皮にこすられてすべっこくなったのかもしれない。
「阿Qの罰当りめ。お前の世嗣《よつ》ぎは断《た》えてしまうぞ」
阿Qの耳朶《みみたぶ》の中にはこの声が確かに聞えていた。彼はそう想った。
「ちげえねえ。一人の女があればこそだ。子が断《た》え孫が断《た》えてしまったら、死んだあとで一碗の御飯を供える者がない。……一人の女があればこそだ」
一体「不孝には三つの種類があって後嗣《あとつ》ぎが無いのが一番悪い」、そのうえ「若敖之鬼餒而《むえんぼとけのひぼし》」これもまた人生の一大悲哀だ。だから彼もそう考えて、実際どれもこれも聖賢の教《おしえ》に合致していることをやったんだが、ただ惜しいことに、後になってから「心の駒を引き締めることが出来なかった」
「女、女……」と彼は想った。
「……和尚(陽器《ようき》)は動く。女、女!……女!」と彼は想った。
われわれはその晩いつ時分になって、阿Qがようやく鼾をかいたかを知ることが出来ないが、とにかくそれからというものは彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても「女!」を思わずにはいられなかった。
たったこれだけでも、女というものは人に害を与える代物《しろもの》だと知ればいい。
支那の男は本来、大抵皆聖賢となる資格があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されてしまう。商《しょう》は妲己《だっき》[#「妲己」は底本では「姐己」]のために騒動がもちあがった。周《しゅう》は褒※[#「女+以」、第3水準1−15−79]《ほうじ》のために破壊された? 秦……公然歴史に出ていないが、女のために秦は破壊されたといっても大して間違いはあるまい。そうして董卓《とうたく》は貂蝉《てんぜん
前へ
次へ
全40ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
魯迅 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング