われても仕方がない」
そうだ。わたしにはわたしだけの確信がある。けれど希望を説く段になると、彼を塗りつぶすことは出来ない、というのは希望は将来にあるもので、決してわたしの「必ず無い」の証明をもって、彼のいわゆる「あるだろう」を征服することは出来ない。そこでわたしは彼に応じて、遂に文章を作った。それがすなわち最初の一篇「狂人日記」である。一度出してみると引込んでいることが出来なくなり、それから先きは友達の嘱《たの》みに応じていつも小説のような文章を書き、積り積って十余篇に及んだ。
わたし自身としては今はもう、痛切に言の必要を感じるわけでもないが、やはりまだあの頃の寂寞の悲哀を忘れることが出来ないのだろう、だから時としてはなお幾声か吶喊《とっかん》の声を上げて、あの寂寞の中に馳《か》け廻る猛士を慰め、彼等をして思いのままに前進せしめたい。わたしの喊声は勇猛であり、悲哀であり、いやなところも可笑しいところもあるだろうが、そんなことをいちいち考えている暇はない。しかしまた吶喊と定《き》めた上は、大将の命令を聴くのが当然だから、わたしは往々曲筆を慈《めぐ》んでやらぬことがある。「薬」の瑜兒《
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