と極まりきったものではない。だからわたしどもの第一要件は、彼等の精神を改変するにあるので、しかもいい方に改変するのだ。わたしはその時当然文芸を推した。そこで文芸運動の提唱を計り、東京の留学生を見ると多くは法政、理化を学び、警察、工業に渡る者さえ少くないが、文芸、美術を学ぶ者ははなはだ少い。この冷やかな空気の中《うち》に、幸い幾人かの同志を捜し出し、その他必要の幾人かを駆り集め、相談の後第一歩として当然雑誌を出すことにした。表題は「新しき生命」という意味を採った。われわれは当時大抵復古の傾向を帯びていたから、これを「新生」といったわけである。
「新生」出版の期日が近づいた時、最初に隠れたのは原稿担当者、続いて逃げたのは資本であった。結果は一銭の値打ちもない三人だけが残った。創始の時がすでに時勢に背いたので、失敗の時は話にもならない、しかも三人はその後各自の運命に駆逐され、一緒になって将来の好《よ》き夢を十分に語ることさえ出来ない。これがすなわちわたしどもの生産せざる「新生」の結末であった。
 わたしがかつて経験したことのない退屈を感じたのは、それから先きのことである。初めはそのわけが解ら
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