った訳です。そこで仮にこれ等の仮定の中《うち》、事実は最も悲しむべき事態にあったものとして、いわば非常に物凄い、芝居がかりの筋でも想像するとしたならどうでしょうか。すなわちあの下男が主人を実際に殺害したものと仮定するなり、主人が実際に死んでおらんと仮定するなり、主人が下男に化けているんだと仮定するなり、もしくは下男が主人の身代りに生埋めにされたものと仮定するなり、とにかくよろしく想像をめぐらしてみるとします。しかも結果はどうでしょう、蝋燭あって燭台のない理由や、相当の家柄に生れた分別ある紳士が常習[#「習」は底本では「皆」]的に嗅煙草をピアノの上などに散らしておくなどという理由の説明はどうあってもつかんのです。吾々は話の中心だけは想像が出来ました、疑問はむしろ外縁にあるのです。いかに想像力をたくましゅうしても、人間の心には嗅煙草とダイヤモンドと蝋燭とバラバラの歯車やぜんまいとの関係を推測する事は不可能とはいわなくてはならんです」
「わしらはその関係はよう解《げ》せると思うがなあ」と坊さんが云った。「このグレンジル伯なる者は仏蘭西《フランス》革命に対して熱狂的に反対な王党であった。彼はやはり昔風の王制の讃美者であった。そこでルイ王朝の家庭生活を文字通りに今の社会に再現させようと試みた。彼が嗅煙草を持っとったのは嗅煙草なるものが彼の御気に入りである拾八世紀の奢侈品《しゃしひん》であったからじゃ。蝋燭は拾八世紀の燈明であったからじゃ、銅鉄製の豆機械というのは、ルイ十六世の錠前道楽を象《かたど》ったものじゃ。ダイヤモンドは有名なマリー・アントワネット(ルイ拾六世紀の皇后)のダイヤモンド頸飾じゃ」
 相手の二人は眼を丸くしてブラウンの顔を見入った。
「オー何と云う奇想天外的な推理であろう」とフランボーが叫んだ。「しかし師父あなたは本当にそうと信じておられるのですか」
「いやそうでない事をわしはきつく信じるよ」と師父ブラウンが答えた。「だがあなたがたは何人《なんぴと》といえども嗅煙草とダイヤモンドとぜんまいと蝋燭との関係をよう見破らんとのみ云われるがわしはその関係を一つ出放題に鮮明がしてみたいんでな。事実の真相は、わしはきっと信じるが、もそっと深い所に横たわっているんじゃ」彼はふと言葉をきらして小塔に咽《むせ》び泣く風音に耳を澄まして、それから更に続けた。
「故グレンジール伯は盗賊であった。命知らずの強盗として裏面《りめん》に暗い生活を送っておった。彼は蝋燭を短く切って、小さな角灯《カンテラ》の中に入れて歩いた故に燭台の必要がなかった。嗅煙草は、最も強暴な仏蘭西《フランス》の犯罪者が胡椒を使用した様にこれを使用した。というのは、これを引つかんで捕吏《ほり》もしくは追跡者の面《つら》にいきおいよくパッと投げつけるためにじゃ。最後に、ダイヤモンドと鋼鉄の歯車であるが、これは不思議にも一体をなすものと見える。これで何もかもあなた達はがてんするであろうが、ダイヤモンドと小さな鋼鉄の歯車は盗賊には限らない。どんな人でも硝子を切る時にこれがなくては出来ないという二つの道具であるのじゃ」
 松の樹の折枝が嵐にもまれて、二人の背後[#「後」は底本では「御」]の窓框《まどかまち》をバサバサバサとたたいた。強盗の向うを張ったわけでもあるまいに、しかし二人は振向もせず熱心に師父ブラウンの顔を見つめていた。
「ダイヤモンドと小さな歯車、フン」
 とクレーヴン探偵が思案に耽《ふけ》るような面持でしきりに繰返した。「しかしそれだけで本当に真の説明になるでしょうか」
「いやわしもそれが真の説明だとは思わんのじゃ」
 坊さんはけろりとした顔で「じゃがあなたがたはこの四者の関係を見破る者は誰もないとばかり云われる。もちろん、本当の筋はもっと平凡に相違ない。そうかな、グレンジールは屋敷内で宝石を発見した。もしくは発見したと考えた。というはこうじゃ。何者かがこれ等のバラの宝石を主人に出した。これは城内の洞窟内で発見したものだというて、主人を欺《だま》そうとした。小さな歯車はダイヤモンドを彫る道具である。主人はこの山中にすむ羊飼やら野人やらの助けを借りて手任せに掘り出そうとした。嗅煙草は蘇格蘭《スコットランド》の羊飼どもにはとても贅沢品じゃ。なあ、これを鼻先へついと突つければ誰だって何ぼうでも彼等を買収する事は出来る、最後に燭台のない理由は、燭台なんかはいらないからじゃ、洞窟内なんぞを照すには裸蝋燭で結構用が足りるもんじゃが」
「はあ、それだけですか」ややしばらくしてフランボーがこう訊ねた。「やれやれこれでとうとう不景気な真理に到達した訳ですかね」
「いや、そうではない」とブラウンが答えた。
 風が松林の遥かなる涯《はて》の方へ、セセラ笑うが如くホーホーホーと長く後を引かせながら消え去った時師父ブラウンがポカンとした顔で言葉を続けた。
「なに、わしはあなたがたが、誰だって嗅煙草と歯車もしくは蝋燭と宝石との関係をもっともらしく説明することはようせんと余り云わるるのでちょっともっともらしい事を云ってみたまでの事じゃ。十把一搦げの似非哲学が宇宙には似つかわしいように、グレンジル城には、十把一搦げの似非推量が似つかわしいといったような訳でな。しかし実はこの城にも実際の説明が無ければならん。時に蒐集品はもう外《ほか》には無いでしょうか」
 ク[#「ク」は底本では「グ」]レーヴンは吹き出した。フランボーもニヤリと笑いながら立上って、長い卓子《テーブル》の端の方へのそのそと歩いて行った。
「第五項、第六項、第七項と控えてはいるが、掘出すとかえって蜂の巣をつついた様になります」とフランボーが答えた。「第一に鉛筆|心《しん》が山のようにあります。これは心だけで鞘がない。それからブッキラ棒な竹の杖が一本、これは頭の金具が剥取ってあります。兇行用の道具としては役立ち得る代物だが別段犯罪らしいものもない。外《ほか》にはまあ古ぼけた弥撤《みさ》の祈祷書が二、三冊と小さな旧教の画《え》が何枚かあります。察するにこれ等はこのオージルビー家に中世時代から伝わっているものと私は思う。が、妙にところどころ切り抜いてあったり、顔なぞもえらい事になっているので、これは博物館へでも廻したい代物です」
 外では猛烈な嵐が城をかすめて物凄い千切雲《ちぎれぐも》を吹飛ばした。そしてこの細長い空の中に闇を投げ込んだ。その時師父ブラウンは、その小さな本を手にとって燦爛《さんらん》と光るその頁《ページ》をしらべ始めた。やがて彼は口を開いた。闇の影はまだ立迷っている。しかし彼の声はまるで生れ変って来た様な声であった。
「クレーヴンさん」と云った声は十歳も若く聞えた。「あなたはあの山上の墓を発掘すべき正式の、令状をたしかに御持ちでしょうね。善は急げだ。急げばそれだけこの恐るべき事件の底も早くたたいて見られると云うものです。もしわしがあなたであったらすぐさま出立《しゅったつ》致しますがね」
「これからすぐ、えエどうしてすぐでなければいけないんです」探偵は驚いて訊ねた。
「さあなぜというと、これはなかなか重大問題ですからじゃ、嗅煙草の散らばっている事や宝石の抜き取ってある事に対しては百の理由も想像もなりうるが、この書物をこんな具合に瑕物《きずもの》にしておった理由はただ一つしかない。これ等の宗教画がこの通り汚され、引裂かれ、落書《らくがき》さえされてあるのは、子供の悪戯や新教徒の頑迷からした仕事ではない。これはすこぶる念入りにやった仕事です。またすこぶる不可能なやり方です。神の御名《みな》を金文字で大きく書いてある部分は残らず叮嚀に切取ってある。その外《ほか》にこの手をくっている箇所は嬰児|基督《キリスト》の御頭《みあたま》を飾る御光《ごこう》である。じゃによってわし等はこれから直ちに令状と鋤と手斧をたずさえて山へ登った上、棺《かん》を発掘しようかとこう云うんです」
「ハア、とおっしゃると、どういう意味ですか」倫敦《ロンドン》の探偵がたたみかけるように訊いた。
「と云う意味は」と小さい坊さんの答える声は嵐の咆《ほ》え狂う中にもちょっと大きくなったかと思われた。「と云う意味は宇宙の巨大なる悪魔が、今この瞬間、この城の大塔の頂上に、百の衆を集めた様にふくれ、黙示録のそれのように咆哮しつつ[#底本では「つ」が重複]あろうやもしれないというんです。この切抜事件の底にはどこやらに悪魔の魔法が潜みいると見える。とにかく秘密の鍵を開くべき一番の近道は山へ登って墓をあばくのが一番だと想いますじゃ」

        二

 二人の相手は庭に出て、猛烈な夜嵐におそわれ、頭を吹飛ばされそうになるまでは、いつの間に師父ブラウンの後についてきたのか自分でさえ気がつかないくらいであった。それにも拘《かかわ》らず彼らは自動機械のように坊さんの後《うしろ》について来たのであった。なぜならばクレーヴン探偵は自分の片手にチャンと手斧をつかんでいるのを見るし、ポケットの中には令状もはいっていた[#「いた」は底本では「居《ゐ》つた」]からだ。フランボーも疑問の人物ゴーの重い鋤を借り出して持っていたからだ。ブラウンは問題の小型の金製《きんせい》の本をしっかと携えていた。山上の墓地に達する路は曲りくねってはいるが、遠くではない。ただ向い風が身体《からだ》にあたるので骨のおれる気がした。見渡す限り、そして上の方へ登れば登るほど、松林の海で、それも今風をうけて見渡すかぎり一様に横様《よこざま》になびいている。その一列一体の姿勢には、それが渺茫《びょうぼう》としているだけに何やら空々たる趣きがあった。ちょうど疾風がどこかの人類の棲息しない目的もない遊星をめぐって咆哮でもしている様に空々たる趣きがあった。彼等は山の草深い頂上に来た。松林は頂上までは続いていないので、そこはさながら禿頭のように見えた。材木と針金とで作った粗末な外柵《そとさく》は、これが墓地の境界だと一行《いっこう》に物語る様に嵐の中にピュウピュウと鳴っていた。しかしこの時既にクレーヴン探偵は墓の一角に立ち、フランボウは鋤の尖《さき》を地中に突き立てて倚《よ》り掛っていたが二人共に、その材木や針金並びに嵐の中にフラフラと揺れて見えた。
 墓の下方には丈の高い薄気味の悪い薊《あざみ》が枯々とした銀灰色を呈しながらむらがっていた。一度ならず、二度ならず、嵐にあおられた薊の種子がブウと音を立てながらクレーヴン探偵の体を掠《かす》めて弾け飛んだが、そのたびごとに探偵は想わずそれをよける様な腰付《こしつき》になりながらピョコリと飛上っていた。
 フランボーはざわめく叢《くさむら》の上から鋤の刃をしめっぽい粘土の中へザックリと刺込んだが、思わずその手を引いて棒杭《ぼうぐい》にでもよりかかるようにその柄によりかかった。
「どんどん関《かま》わずやりなさい」と坊さんが落着いた声で云った。「わし等はただ真理を発見しようとして試みるだけじゃ、何を恐れる事があるんじゃ」
「いやその真理の発見が実は少々、むずかしい」とフランボーが苦笑いをしながら相槌をうった。クレーヴン探偵は突然赤ん坊の歓ぶような大きな声、話声《はなしごえ》と歓声とを一しょにしたような声でこういった。
「実際何だって彼はこんな風に身体《からだ》をかくそうとしたもんだろう、何か恐ろしい事でもあるんかしら。あの男は癩病患者ででもあったのでしょうか」
「いやそれにしんにゅう[#「しんにゅう」に傍点]をかけたようなものさ」とフランボーが云った。
「へえそれにしんにゅう[#「しんにゅう」に傍点]をかけたものというと、はあて」
「なに実は私にも見当がつかないんだ」
 かくてフランボーはだんまりのまま惧《おそ》る惧る何分かの間掘りつづけたが、やがて覚束なげな声でこういった。
「やれやれ死体の原形がくずれていない事を神に祈る」
「それはな、あなたこの紙面だとて同じことじゃ。この紙面を見てもわし等は気絶もせんでとにかく生延びては来たもんな」師父ブラウンが静かにまた悲しそうにこう云っ
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