表者ともいうべき男であった。
幾世紀にわたってグレンジル城の城主は莫迦《ばか》の限りをつくした、今ではもう莫迦も種ぎれになったろうと思われても決して無理はないのであった。ところが事実は今の最後の伯爵は、まだ誰も手をつけたことのない珍趣向で、伝家のしきたりを完成させた、すなわち彼は姿をくらましたのだ。といっても彼が外国へでも行ったという意味ではない。どう考えても彼はまだ城内に生きているはずである。もし彼がどこかに居《い》るものとすれば、事実彼の名は教会名簿にも大冊の赤い華族名鑑にもまだ載っているのだ、だが誰にも彼れを太陽の下に見たと云うものがないのだ。もしも何人《なんぴと》か彼を見た者があるとすれば、それは馬丁《ばてい》とも次男ともつかない孤独の召使の男である。彼はひどい聾《つんぼ》なので、早合点《はやがてん》の人は彼を唖者《おし》だと思い込み、それより落付いた人も彼を薄鈍物《うすのろ》だといった。痩せてガラガラした、赤毛の働き男で、頸《くび》はいかにも頑固だが魚のような眼をもった彼はイズレールゴーという名で通っている。そしてこの物佗しい館《やかた》につかえる一個の無言の召使である。けれども彼が馬鈴薯《ばれいしょ》を掘る絶倫な精力と判で押したように規則正しく台所へ消えて行くことは、見る人に、彼が誰か高位の人のために食事の用意でもしているんじゃないか、そうとすれば不思議な伯爵はやはり城内にかくれているのではないかという印象を起させるのであった。そこで世人《せじん》が突込んで実際は伯爵が生きているんじゃないかと訊くとゴーは頑固に首をふってそんなはずはないという。ある朝市長と牧師が城に呼ばれた。そこで両人の者はその作男《さくおとこ》兼馬丁兼|厨夫《ちゅうふ》がたくさんの兼職の中へ今一つ葬儀屋の職を加えて、やんごとない主人を棺《ひつぎ》の中に釘づけにしておいたという事実を発見した。この奇妙な事実がその後《ご》どの程度まで取調べられたものか、またはまるで取調べられなかったものか今以てよくは解っていないようだ。何しろフランボーが二、三日前に倫敦《ロンドン》から北行《ほくこう》して来るまでというもの正式の取調べはまだ行われてなかったくらいだから、行われぬままにしかし、グレンジル伯の遺骸は(それが遺骸だとすれば)小岳《しょうきゅう》の小さな墓地に今日まで葬られてあるわけだ。師父ブラ
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