ね」と彼が言った。「私はまだちょっと見込みがあると思いますよ」
「この人は死んではおられん」ブラウンが低い声で言った、「がしかしわしはかなり悪いように思いますじゃ、あんたはお医者さんじゃないかな、時に依っては?」
「そうじゃありません、しかし僕は僕の年頃では色々な事をせねばなりませんからね」と相手が言った。「しかしちょっと僕に関しちゃ御心配無用です。僕のほんとの職業はたぶんあなたをおどろかすにちがいありませんよ」
「わしはそうは思わんよ」とかすかな微笑をもって、師父が答えた、「わしは航海中の半ばはそれについて考えとったんじゃ。あんたは誰れかをつけとる探偵じゃ。まあまあ、十字架は盗人の手から安全ですわい、とにかくな」
彼等が話してる間にターラントはやすやすと器用にたおれた人を抱き上げて入口の方へ彼を注意深く運んでいた。彼は肩越しに答えた、「左様です、十字架はもう安全ですよ」
「あんたは他に誰もいないと言われるんかな」ブラウンは答えた。「あんたも、その呪いの事を考えておられるのかな?」
師父ブラウンはその悲劇的な出来事の衝動以上に何物かがあった渦まいてる混乱の仕事のために一二時間ばかりの間行ったり来たりした。彼は教会の向うにある小さい旅館にそのぎせい者を運ぶのを手伝った。そして医者を呼んだ。医者は生命には別条がないが、まさしくおどおどしながらその怪俄について話した。そしてまた旅館の客間に集《あつま》っていた旅行者の一団にそれを報告したりした。しかし彼が行ったどこにでも神秘の雲が彼に横たわっていた。そして彼が考えるほどますます暗くより深くなるように思われた。なぜなら中心の不可思議はますます神秘になって来た。現に彼の心の中で明白となり始めた、その領地の神秘までも、その一行の個々の人物を考えてみてもその突発した事件を説明するのはますます困難になった。レオナルド・スミスはダイアナ夫人が来たために単に来たのである。そしてダイアナ夫人は彼女が希望した故に来たのであった。夫人のロマン主義は迷信的な方面を持っていた。そして彼女は彼女の冒険のおそろしい結果に充分弱っていた。ポール・ターラントは、たぶんある妻かまたは夫の、悪巫山戯《わるふざけ》を監視するような好ましからぬ外国人の態度を多く持っていた。そして実際は、髯のある外国の講師のあとをつけている、私立探偵であったのだ。しかしもし彼かあるいは他の何人かが聖宝を盗もうと計画したのであったならその計画は完全に打ちこわされるのであった。
彼が宿屋と教会との間の、村の通りの真中に一方ならぬ混乱の中に立っていた時に、その通りに近づいて来る親しみはあるがむしろ予期しない人物を見て驚きの軽い衝動を感じた。太陽[#「陽」は底本では「洋」]の光りに非常にやつれて見える、新聞記者の、ボーン氏であった。日の光りは案山子《かかし》のそれのような薄ぎたない彼の着物をあらわにした。そして彼の暗いそして深く落ちこんだ眼が牧師にジート注がれた。後者のその厚い髯はニタリ笑いのような少なくとも凄い微笑に似た何物かをかくしたという事を見極めるために二度見つめた。
「わしはあんたはもう行ってしまわれた事じゃと考えてましたわい」師父ブラウンは少し鋭く言った。「あんたは二時間も前の汽車で出発されたんじゃと思っとりましたよ」
「ところで、あなたは私が出発しなかった事がおわかりでしょう」ボーンが言った。
「なぜあんたは戻って来られたんじゃな?」まじめに坊さんが訊ねた。
「急いで立ち去るのは新聞記者にとってあまり結構な事ではありませんからね」と相手が答えた。「ロンドンのような陰気な所に帰って行く間にここで色々の出来事があまりに早く起ります。その上、彼等はこの事件から私をのぞく事は出来ますまい――私はこの二番目の事件の事を言うのですが。あの死体を見つけたのは私でした。あるいはとにかく着物をね。私は全くうたがわしい行為は、ないじゃありませんか? たぶんあなたは私が彼の着物をつけたがったとお考えになりましょう」
それからやせた長い鼻をした山師は不意に、彼の両腕を差しのべそれから道化の祈祷の様な具合に彼の黒い手袋をはめた両手を拡げながら、市場の真中に変な身振りをした。つぎの様な事を言いながら、「オオ親愛なわが兄弟よ、吾は御ん身等凡てを甘受するであろう……」と、
「一体あんたは何を言うとられるんじゃ?」師父ブラウンは叫んだ、そして彼のずんぐりした蝙蝠傘で軽く敷石をたたいた。なぜなら彼はいつもより少し気短かであったから。
「ああ、もしあなたが宿屋に居るあなたの遊山の一行に尋ねられたならそれについての凡ての事がおわかりになるでしょう」とボーンは不平気に答えた。「[#「「」は底本では欠落]あのターラントという男は私がただ着物を発見したという理由で私を疑ってるようです、けれども彼は自分でそれを見つけるのにほんの一分おそく来たのです。しかしこの事件にはあらゆる種類の神秘があります。あの事件に対して、なぜあなたがご自分であの哀れな人を殺さなかったか私にはわかりませんよ」
師父ブラウンはその諷示には少しも悩まされてるようには見えなかった、がその観察に依って非常に当惑させられそしてまた煩わされた。
「あんたは」と彼は卒直に訊ねた。「スメール教授を殺そうとしたのはわしだったと言われるんですかい?」
「いやそうじゃないです」とさっぱりと譲歩する人の態度で手を振りながら、相手が言った。「死人の多くはあなたに取っては決定する事が出来る。スメール教授に限った事じゃありません。まあ、あなたは誰れか他の者が、スメール教授よりもたくさんな死人を出したのを知りませんか? そして私はなぜあなたが、こっそりと彼をやらなかったかわかりませんな、宗教的な相違、ねえ……キリスト教徒の残忍な軋轢……私はあなたがいつもイギリスの牧師管区を取り戻すのを望んでいられたと思いますよ」
「わしは宿屋へ戻りますじゃ」と坊さんはもの静かに言った。「あんたはあそこに居る人達はあんたが意味する事を知っとると言われる。それでたぶんあの人達はそれを言う事が出来るかもしれん」
事実、彼の秘かな当惑は新しい災難の報告に一瞬間の散乱を告げた。一行の残りの者が集《あつま》っていた小さい客間に這入った瞬間に、彼等の蒼白い顔の何物かに墳墓についての事件よりもっと新しい何事かに依って感動された事を彼に話した。彼が這入った時でさえレオナルド・スミスはこう言っていた。「一体これはどこで終るんですか?」
「それは決して終らないでしょう、って言うのに」ガラスのような眼で空間を見つめながら、ダイアナ夫人が繰りかえした。「それはね私達が皆終るまで決して終らないでしょうよ。交《かわ》る交《がわ》る呪いが私達にふりかかるでしょう、あの牧師さんが言ったように、たぶんそろそろとね、しかしそれはあの方にふりかかったように私達皆んなにかかる事でしょう」
「一体全体また何事が起りましたかな?」師父ブラウンが訊ねた。
沈黙が起った。それからタアラントが少し洞声《どらごえ》のように轟く声で言った。
「牧師の、ウォルター氏が自殺されました。激動があの人を攪乱させたのだと僕は思いますよ。それについちゃ疑いがないらしく思われます。吾々は今ちょうど海岸から突き出てる岩の上に彼の黒い帽子と衣類を発見した所です。彼は海中に飛びこんだように思われるのですがねえ。僕はそれが智慧の足りない彼を打ったかのように彼が見えたと思いました。してたぶん吾々は彼の面倒を見ねばならないのです、しかしそうたいして面倒見る事はありませんでしたが」
「あんたは何んにもなさる事が出来なかったのです」と夫人が言った。「[#「「」は底本では欠落]物事はおそろしい命令に運命を取引きされてるのがわかりませんか? 教授は十字架にさわりました、そして彼が第一に行きました。牧師さんは墳墓を開きました、そして彼は二番目に行きました。私達はただ会堂に這入ったばかりでした。それに私達は――」
「おだまんなされ」と、めったに使わない鋭い声で、師父ブラウンは言った。「これは止めねばならんですぞ」
彼はなお重々しいしかめ顔をしていた、けれども彼の眼にはもう混乱の雲りがなかった。ただほとんどとけかけたおそろしい了解の光りがあった。
「なんてわしは馬鹿じゃろう!」彼はつぶやいた。「わしはもうとうにそれがわからんければならんのだった。呪いの話しはわしに話されるべきじゃった」
「あなたは十三世紀に起ったある事に依って吾々がほんとに殺されるとこう言われるのですか?」
師父ブラウンは彼の頭を振ってしずかな語勢で答えた。
「わしは吾々が十三世紀に起ったある事に依って殺されることが出来るかどうかを論じたことはありませんじゃ、しかしわしはな吾々は十三世紀に決して起らなかったなに[#「なに」に傍点]か、すなわち全然起らなかった所のなに[#「なに」に傍点]かに依って殺されないという事はたしかじゃ」
「左様」とターラントが言った、「そのような不可思議な事に対して懐疑的である坊さんを見出すのは愉快な事ですな」
「いやいや」と坊さんはおだやかに答えた、「わしが疑うのは超自然な点ではないのじゃ、それは自然的な点じゃよ。『私は不可能を信ずる事は出来る、がしかし有りそうもない事を信ずる事は出来ぬ』と言うた人の心持ちと同じ所に居りますのじゃ」
「それはあなたが逆説と呼ぶ所の事ではないのですか?」と相手が訊ねた。
「それはわしが常識と呼ぶ所のものじゃよ」師父は答えた。「吾々が了解する事に相反する自然な物語よりは、吾々が了解しない事を話す、超自然的な物語りを信ずるのがもっと自然でありますじゃ、あの偉大なグラドストンが、彼の最後の時パーネルの幽霊につかれたということをわしに話して見なされ、わしはそれについては不可知論者じゃ。しかしグラドストンが最初に、ビクトリア女王にお目通りをした時に、彼女の居間で深い帽子をかぶりそして彼女の後ろをパタンとたたいて彼女に煙草を差上げたという話しをわしに聞けば、わしはちっとも不可知論者じゃありませんわい。それは不可能じゃありませんぞ、それは同じ信ぜられぬ事じゃ、それでわしはパーネルの幽霊が現われなかったというよりはそれは起らなかったという方がもっとたしかでありますじゃ、なぜならそれは私が理解する世界の法律を犯すからじゃ。それで呪いの話しについてもそうですじゃよ。わしが信じないのは伝説じゃありませんのじゃ――それは歴史ですわい」
ダイアナ夫人は凶事予言者についての彼女の恍惚から少し恢復した。そして新しい事についての彼女の好奇心が彼女の輝いた好奇の眼から再び現われ始めた。
「なんてあなたは奇妙な方でしょう!」彼女が言った。「なぜあなたは歴史を信じないのでしょうか?」
「なぜならそれが歴史じゃないからわしは歴史を信じないのじゃ」師父ブラウンは答えた。「中世紀に関して少しでも知っとる人に取ってはな、その話しは全部グラドストン[#「グラドストン」は底本では「グラドスン」]がビクトリア女王に煙草を差出したのと同じように信じられぬ事なのじゃよ、しかし中世紀について誰がいかなる事を知ってますかな?」
「いいえ、もちろん私は存じませんわ」と夫人は意地悪く言った。
「世界の他の一端において、乾いたアフリカ人の一組を保存したのが、もしタアタアカ人であったら、その理由は神様が御存じじゃ、もしそれがバビロン人かあるいは支那人であったなら、もしそれが月の世界に居る人間のように神秘なある人種じゃったら、新聞紙から歯ブラッシに至るまで、それについて凡てあんた方に報告するじゃろう。がしかし人間は吾々の教会を建てそして吾々の町やまた今現に歩いて道路に名をつけたのじゃ――しかしそれ等について何事も知るような事が起らなんだ。わしもわし自身多くを知っとるのではない、がしかしその物語りは始めから終りまでつまらないそして馬鹿気た事じゃという事を見抜くに充分なだけは知ってますわい。人の店や道具を差押えるのは金貸としてはそれは不正であったのじゃ。ギイド
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