が悪人だか見別《みわけ》がつかないとおっしゃいましたが、本当に善人の方を見分けるのはむずかしいんでございますよ」
「はあ! わしには一向にわかりませんが」ブラウンはただこれだけ答えるとそのまま部屋を出ようとした。けれども彼女は一歩彼の方へ身を乗り出した、眉をひそめ、そして、牡牛《おすうし》が角《つの》を低めて身構でもするような獰猛な格好に身を屈めながら。
「いえ、当家には善人など一人もおりませんで御座いますよ」女は吐息を洩らしながら云った。「そりあ大尉さんにしても、お金をしぼりとろうとなさるのは、決して誉めた仕打とは言えませんが、とられる方の公爵様にしたって、そりゃア善くない点があるのでございますからね。何も大尉さん一人で公爵をいじめていらっしゃるんではないんです」
「強請《ゆすり》かな」という一語がつづいた。が、その時女はヒョッコリ肩越しに背後をふりかえってみて、今少しで倒れんばかりに吃驚したのである。その時|扉《ドア》がスーッと開《あ》いて、入口に蒼ざめた顔をした給仕頭のポウルが幽霊のように立っていた。場所は鏡の間である。さながら五人のポウルが五つの入口から一時に入込《いりこ》んだかのように、薄気味悪く思われた。
「御前様がお帰りあそばしました」と彼は云った。
三
その瞬間、一つの姿が第一の窓の外を通った、続いて第二の窓を通ると、その通行する鷲のような輪廓を幾つかの鏡が炎のように次々にとうつして行った。彼は姿勢が正しく、そしてすきがなかったが、毛髪には霜をおき、そして顔色は妙に象牙のように黄いろっぽい。鼻は禿鷹の嘴のような羅馬《ローマ》鼻で、一般の場合この鼻には附き物の肉のこけ落ちた長い頬と顎を型の如くに備えてはいるが、これ等の道具立ては半ば口髭でおおわれているのでいかめし気に見えた。その口髭は顎髯よりははるかに黒くて、幾分芝居じみていた。彼の服装は、これも同じく芝居がかりで、白い絹帽をかぶり、上衣《うわぎ》には蘭《らん》の花をかざし、黄色い胴衣を着、同じく黄色い手袋を歩きながらパタパタやったり振ったりしていた。やがて彼が玄関の方へ廻ると、鯱鉾《しゃちこ》ばって出迎えるポウルの扉《ドア》を開ける音や、帰着した公爵が、「ア御苦労々々今戻った」という声が聞えた。ミスター・ポウルは頭をさげながら、何事かヒソヒソと主人に答える様子であった。数分間は
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