査にかかった。彼の緻密な頭脳は、かの大きな疑問の波を押し分け押し分け進んだ。詳細な研究は次第々々に進められた。近隣で問合せたり、家の組立を実査したり、二十度も三十度も電鈴を鳴らしてみたり、この名探偵はあらゆる能力をしぼった。
 初めの計画の二週間は過ぎたが、事件は依然として五里霧中の裡《うち》にあった。刑[#「刑」は底本では「刊」]事は更に延期を願出た。捜索課長ジュズイ氏が心配してガニマール刑事の研究の実況を見に来た時には、刑事は陳列室の前に梯子をかけ、その上に上って一心に考えていた。
 しかし刑事の脳中には本件の解決に関して少しの光明も見出さなかったのである。
 でもその翌日ジュズイ氏が再びそこを訪れた時には、ガニマール刑事は新聞紙を前にひろげて、身も魂も打込むように思案していた。初めはジュズイ氏の問[#「問」は底本では「間」]にも答えようとはしなかったが、強いて尋ねていると、刑事は重い口を開いて、
『わかりません。全く解りません。が、ここにほんのちょっと不審に思うことがあるんです。でも、それもどうも当《あて》にはなりませんが‥‥』
『すると、君はどうするつもり?』
『課長、どうか、もう少し待って下さい。どうぞ本件は万事私にお任せ下さい。そして、そのうち電話をかけましたら、大至急で自動車でお出でを願います‥‥その時こそ本件の秘密の鍵を握った時ですから!』
 ジュズイ氏は満足して帰った。と、それから三日経った朝、課長の許へ、一通の電報が届いた。差出人はガニマール刑事で、文句は簡短《かんたん》に、
『リイユへ行く』とあるのみであった。
『ふふむ?』ジュズイ氏は考えた。
『何だって、リイユなどへ行くのだろう?』
 その日も、次の日も刑事からは何の便りもなかった。
 しかしジュズイ氏は落胆しなかった。彼はガニマール刑事を充分に信頼していた。右腕と頼む刑事主任の人物をよく知っていた。ガニマールの一挙手一投足には必ず確信ある根拠があることを疑わなかった。
 二日目の夜、突[#「突」は底本では「笑」]然ジュズイ氏に電話がかかって来た。
『課長? 課長ですか!』
『ああ、君は、ガニマール君?』
『はい、そうです。』
『して、その後の模様は?』
 捜索課長ジュズイ氏も、ガニマール刑事も共に用心深く、相手がそれに相違ないことを知るまでは軽卒な口は利かなかった。こうして双方相求める人に相違ないことを知ると、ようやく安心した刑事は言葉忙しく言い出した。
『至急、十人ばかり人を出して下さい。』
『よし!』
『あなたもどうか御一緒に!』
『承知した。どこだ?』
『例の家の、階下の部屋に。しかしお出で下さる時には庭の門まで迎えに出ます。』
『わかった! 自動車だろうね? もちろん。』
『はい、十歩ばかり手前で自動車を留めて、口笛を吹いていただけば、すぐ門を開けます‥‥そっと吹いて下さい‥‥家の者に聞えないように。』

          五

 捜索課長は主任刑事の請求通り、直ちに出張の命令を下した。
 ガニマール刑事は真夜中少し過ぎた頃、家の燈がすっかり消されて、真暗になったのを見計って階下を出てジュズイ氏を待っていた。
 口笛は静かに鳴った。門は音もなく開かれた。会見はひそかにかつ敏捷《びんしょう》に行われた。巡査等はすべて主任刑事の命令の下に行動した。捜索課長と主任刑事の二人は足音を忍ばせて庭を通って、家の中に入った。
『一体どうしたんだ?』
『‥‥‥‥』
『何だい、この態《ざま》は? まるで泥棒のようなじゃないか。』
『‥‥‥‥』
 捜索課長は、色々ガニマールに囁いたが、ガニマールは返事もしなかった。課長は彼の挙動の尋常でないのを見て取った。課長は彼のこんなに昂奮している様をかつて見たことがなかった。
『どうした。変った事があるのかい?』
 課長も引入れられて緊張せざるを得なかった。
『はい、今度こそは、課長! しかし実に自分にも信ずることが出来ないような事件です。[#「。」は底本では欠落]でも、断じて誤っていません。全く真相を掴みました。事実とは思われない事実です。全く、嘘でも誤解でもありません。真実です。』
 主任刑事は額の汗[#「汗」は底本では「汚」]を押し拭いながら、充血した眼を上げてこう云った。彼は冷水をグッと飲みほして気を落ちつけると更に語を続けた。
『これまで私は何度も何度も失敗《しくじ》りましたが、今度こそは‥‥』
『そんなことはどうでもいい。事件の方を、結局どうした?』
『いや、細かく云わねばお解りになりませんよ。私の実験したいろいろの事情を申上げねば‥‥合理的な順序であることがお解りになりませ[#「せ」は底本では欠落]んよ。』
 ガニマールの意外な意気込に、課長も声を落して聞き入った。
『これまで何度もの失敗に、私はさんざんな
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