は底本では欠落]どうも大佐の人相書と符合する点があるというのである。
夫人は、取るものも取敢えずヴィルダブレイへ急行した。その夜の七時過、停車場前に自動車を下りると、すぐ駅内の一室に案内せられて、眼前に横《よこた》わっている一個の死体の被いを取られて見せられた。まさしく夫の死体であることを一目にして承認した。あはれにも、スパルミエント夫人エジスは、かの錦の壁布に描かれたエジス王妃と今こそ運命を同じくしたのである。
社会の同情は期せずして夫人の一身に集った。と同時に、アルセーヌ・ルパンに対する公憤はその極に達した。
輿論《よろん》を尊重する一新聞は、例の如くルパン攻撃ののろしを挙げた。
『今回の事件は、彼に対して今まで与えていた好意を零にするものである。アルセーヌ・ルパンはこれまで幾多の罪悪を犯している。しかし彼の相手たる者は、常に曖昧銀行とか、独逸《ドイツ》の華族とか、山師とか、秘密政客等であって、悪者に対して悪事を働いたのであった。中にも最も許すべき点は人を傷つけぬということである。強盗はしても人命を害するようなことは彼の避くる所であった。ところが、今回の事件はよし自分手に手を下したものでなくとも、彼の明を以てすれば明らかに自殺を予想することが出来たであろうに‥‥ここに流血の惨事を惹起した罪は到底彼の免がるべからざる所である。彼の名前に、終に紅い血汐《ちしお》が塗られた。これ神人共に許す能わざる所である‥‥』
四
知るも知らぬもスパルミエント未亡人に同情をよせた。と同時にアルセーヌ・ルパンを憎むこといよいよ甚しくなった。中にも前夜招待された人々は、殊に悲痛に心を乱し、嘆き沈んで身も世もあらぬ未亡人を取囲んでは、口には言わねど、伝説のエジスにさも似たる悲惨な身の上に涙をそそいだ。
しかしまた、遺憾なくこの窃盗に成功したルパンの非凡なる手の中《うち》には誰も舌を巻いて感嘆せぬわけにはゆかなかった。警察は直ちに盗出方法を説明した。それは陳列室の窓が三つ開け放されてあったことが探偵の調べによって判明したが、ルパンやその手下はこの窓から忍び入ったのであるというのである。
その推定は当っているかもしれない。でも第一、庭の門をどうして入ることが出来ただろう? 誰れにも見咎められず、どうして入って、どうして帰り去《さり》つることが出来ただろう? 第二に、庭を通れば壁や梯子を掛けねばならぬが、そこには何等の形跡をも、何等怪しむべき点をも見出すことが出来ないのはどうしてだろう? 第三に、あれほど周到なる警戒設備が整っているのに、邸内の電燈電鈴にいささかの故障なく、その鎧戸や鉄格子をどうして開けることが出来ただろう?
疑問の石は水の表面に投げ入れられた。波は起って広がった。
まず警戒の任にあたった三人の探偵にこの波は打ち当った。予審判事はこの三人を長い事取調べたが、そしてまた彼等の私的生活についても詳細に探られたが、三人が三人、その行為は最も正しく、いささかも後ろめたいような点はなかった。
こうして盗まれた綴れ錦の壁布――予備陸軍大佐の死に値する愛蔵――の行方はいかん? 波は広がった。いよいよ高く逆巻くように広がった。
ここに警視庁刑事主任ガニマール氏はソーニャ・クリシュノフの王冠事件の後、ルパンの部下より探知したたくさんの証拠を握って、ルパンの跡を追い廻していたが、何の得る所もなく、ふらりと巴里《パリ》に帰って来た。帰ってみれば、今まで自分が追い掛けていたはずのルパンがこの大事件を起しているのであった。ガニマール氏はまたしても不倶戴天《ふぐたいてん》の敵アルセーヌ・ルパンのためにうまうまと一枚喰わされたのである。ガニマール氏をしてルパンが東洋方面に逃走したらしく思わせたのはルパンの計略であって、これはこの名探偵を巴里《パリ》の外へ追出しておいて、その留守にうまうまと錦の壁布事件の大事件をしたのである。
ガニマール刑事は無念の歯噛《はがみ》を食いしばって口惜《くや》しがった。彼は直ちに捜索課長から二週間の猶予をもらって、旅装もとかず、その足を以てスパルミエント夫人を訪ね、必ず夫君スパルミエント氏のためにに讐《あだ》を報い心を安んぜしめるであろうと誓った。
しかし、よし敵を討ってもらったところで、死んだ夫が生き返るわけはないエジス夫人は一度受けた胸の痛みが癒えるはずはなかった。泣くなく野辺《のべ》の送りをすませた夜、三人の探偵は引き取らせ、一人の老僕と老婢だけを使うことにした。探偵達を見ると、つい亡き夫の事が思い出されて悲しみをそそったからである。こうして一間に閉じ籠ったきり、何事も手がつかなかった。総《すべ》ての事はガニマール氏の言うがままにしておいた。
ガニマール刑事の方は階下に立籠って、即刻調
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