が、家内が夫の屍体を探すような運命にはなりたくはありませんな。私は死にたくはありませんな。話はこの辺でおしまいにしようじゃありませんか。でも、この壁布が、もし盗られるような事があったら、さア、そうなったら、私も自殺しなければなりませんな。ハハハハハ。』
 大佐は大口を開けて笑ったが、[#「、」は底本では「。」]その笑声は決して陽気なものではなかった。この後この夜の事が話題に上った時、人々はこの時の事を思い出して、お互にハタと声を呑んで息を殺したということである。この時の来客は、一人としてこの冗談に答えることが出来なかった。
 しばらくして一人がこの不吉な冗談を打消すように、
『でも、スパルミエントさん。あなたはハロルドという名前ではないじゃありませんか。』[#「』」は底本では欠落]と言った。
 大佐は快活に、
『そうです。私はハロルドとは言いません。そしてハロルド王に似ている所は少しもないでしょう。だからこの点は安心ですよ。』
 と、この大佐の言葉の終るのを待っていたように、窓の方にあって、俄然として一声強くはげしい電鈴が鳴りひびいた。同時にスパルミエント夫人はキャッと叫んで夫の腕に倒れるようにすがりついた。
『どうした? どうした?』と大佐は夫人を抱きしめた。
 来客一同も、思わず水を浴びたように固くなって、窓の方を見た。
『どうしたんだろう? どうも怪しい。あのベルの装置を知っているのは私より他にないはずだ!』
 と、今度は俄かに電燈が一時にパッと消えて、あたりは真の闇になった。そして下から上まで、部屋々々の電鈴が耳も聾《ろう》せんばかりに一時に鳴り初めた。
 一同は、狂人のようになってうろたえさわいだ。逃げ惑った。婦人達は悲鳴をあげて泣きわめき、男達は締めた戸口に折重なり、どんどん戸を叩き押しあいへし合い、我勝に逃げ出ようとして人を突飛ばし、倒れ、踏みつけた。ちょうど狂犬に追われるか、爆弾を投げつけられたような騒ぎであった。
 大佐は声をはげまして、その混雑を制しようとした。
『どうぞお静かに、騒がないで下さい‥‥大丈夫です。今|灯《あかり》をつけます。スイッチがここにあるんですから‥‥この隅に‥‥』
 大佐は客を掻きわけて陳列室の角に行った。電燈はサッとともった。と、同時に電鈴の音もパッタリと止った。

          三

『壁布は?』
『ある!』
 
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