方へ引き寄せようとするのを、彼女は満身の力を籠めて憎々しげに突き飛ばした。それでも彼はなお進もうとする、その顔には残酷醜悪な色が溢《みなぎ》っている。二人の視線ははたと合って、互に屹立《きつりつ》したまま深讐仇敵《しんしゅうきゅうてき》のごとくに猛烈に睨み合った。
 二人は黙って睨み合った。やがてドーブレクは椅子にかけたが、兇悪、冷酷な相貌して口唇《くちびる》には深刻な皮肉が浮かんで来た。彼は何事か条件を持出《もちだ》しているらしく、卓子を叩き叩き頻りに怒鳴り立っている。これに反して彼女は微動だもせず、傲然と立像の様に直立してはいたが、その眼は不安定に動いているらしかった。ルパンは雄々しくも悩み深き顔を瞬きもせず見詰めつつ、彼女が果たしていかなる思考《かんがえ》を持っているかを看破せんと少しも眼を放たず見ていると、不思議、彼女は軽く頭をめぐらすと同時に、その腕が気付かぬほど徐々に動き出した。身体の蔭になって彼女の腕は静かに動く。とその手は卓子の上を匐《は》う様にそろそろと進んで行く。ルパンがふと気が付いてみると、卓子の一端に水入があって、その硝子《がらす》栓には頭の方に黄金《こがね》の
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