見たてて、十歩ぐらいはなれたところから、投縄の練習をはじめた。
首にひっかけたら、すぐに、縄にはずみをつけて、輪を送って、右でも左でも、前足にその輪をひっかけて、ぐっと引けばいいのだ。三日も四日も、めしをたべる時間もおしんで、練習した。子どもだって、いっしんは通るよ、上手になったね。おしいことには、いよいよ白くまと対面というときに船は出帆してしまった。おとうさんは、――これはあぶない――と思われたにちがいない。
この投縄は、いい運動にもなるし、何かの役にもたつよ。みんな、やってどらん、おいらが教えるよ。
それから、なぜ、フロスト・ウイリアムのおいらが、小笠原島吉《おがさわらしまきち》となったかを、ひとつ話しておこうね。
おいらが三十一歳のとき、明治八年に、ボーニン島が、日本の領土となって、日本小笠原諸島とはっきりきまったのだ。おいらの生まれた島だ。なつかしい島だ。島が日本の領土となったのだから、おいらも日本人だ。そうだろう。それで帰化して日本人となった。フロスト・ウィリアムが、日本名まえにかわって、島の名をそのままもらって、小笠原島吉。どうだ、いい名だろう。
漁夫の範多《はん
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