島を引きあげるときが来た。考えてみると、よくも、あれだけの困難と不自由とをしのいで、海国日本の男らしく、生きてきたものだ。
 一人一人の、力はよわい。ちえもたりない。しかし、一人一人のま心としんけんな努力とを、十六集めた一かたまりは、ほんとに強い、はかり知れない底力のあるものだった。それでわれらは、この島で、りっぱに、ほがらかに、ただの一日もいやな思いをしないで、おたがいの生活が、少しでも進歩し、少しでもよくなるように、心がけてくらすことができたのだ。
 私たちはこの島で、はじめて、しんけんに、じぶんでじぶんをきたえることができた。そして心をみがき、その心の力が、どんなに強いものであるかを、はっきり知ることができた。十六人が、ほんとうに一つになった心の強さのまえには、不安もしんぱいもなかった。たべるものも、飲むものも、自然がわけてくれた。アザラシも、鳥も、雲も、星も、友だちとなって、やさしくなぐさめてくれた。これも、みんなの心がけがりっぱで、勇ましく、そしてやさしかったからだ。私は心から諸君に感謝する。ありがとう。
 これから、おとなりのミッドウェー島で、三ヵ月もくらせば、的矢丸がむかえにきてくれる。ミッドウェー島に引っこしてからは、この経験したことに、みがきをかけて、ほんとうのしあげをしなくてはならない。いっそう、よくやってもらいたい。あらためて、みんなにお礼をいう」
 私は、みんなに対して、まごころこめて、おじぎをした。
 十五人も、ていねいに頭をさげた。しばらくは、みんな、銅像のように立っていた。すすり泣く者もあった。
 小笠原老人が、一歩前へ出た。頭をさげて礼をしてから、とぎれとぎれにいった。
「年の順で、一同にかわりまして。……ただ、ありがたいと思います。この年になって、はじめて、生きがいのある一日一日を、この島で送ることができました。心が、海のようにひろく、大きく、強くなった気がします。
 ありがとうございます。このうえとも、よろしくお願いいたします」
 私は、このときの感激を、いまでもわすれない。みんなも、そういっている。心と心のふれあった、とうといひびきを感じたのだ。

 たのしい朝飯のはしをとった。笑い声が、たえまなくわきあがる。水夫長は川口に、なによりのみやげ話をした。
「的矢丸には、いい薬がある。『熊《くま》の胆《い》』もあるよ。よろこべ、『鼻じろ』の胆《きも》はようなしだ。あいつも命びろいをしたよ」
 川口は、近ごろはじめて、胸をそらして、
「うあっ、はっはっ」
 と、雷声でごうけつ笑いをした。それがまた、とてもうれしそうだったので、十五人も声をそろえて、
「うあっ、はっはっ」
 と、大笑いをした。
 食後、運転士から、一同に、
「的矢丸の人たちが、ここへ上陸するまでに、ズボンだけでもはいておけ。はだかは、もうおしまいだ」
 と、注意した。

   さらば、島よ、アザラシよ

 かくて、この日の午後、的矢丸は本部島の沖に近よって、伝馬船《てんません》一|隻《せき》と、漁船三隻をおろして、乗組員は、十六人をむかえにきた。
 的矢丸の船員は、島のあらゆる設備を見て、ただ感心するばかりであった。かめの牧場におどろきの目を見はり、われらの友アザラシの、頭やおなかをさすってみた。川口は「鼻じろ」を的矢丸の人たちに紹介した。
 的矢丸船員も手つだって、龍睡丸《りゅうすいまる》の伝馬船と、的矢丸の四隻の小船とは、何べんも、島と的矢丸との間をおうふくして、荷物を運んだ。その荷物が、ふうがわりなもので、引っこし荷物のほかに、的矢丸の糧食にするため、たくさんの海がめと、石油|缶《かん》につめた貴重な雨水が、三十缶、料理用たきぎとして、流木をまきにしたものが、八十五束もあった。

 国後《くなしり》、範多《はんた》、川口をはじめ、アザラシととくべつ仲よしの連中と、もう、ふたたび見ることのできないアザラシたちとのわかれは、見る人々の心を動かした。
 十六人が島から引きあげることを、アザラシどもは察したのであろう。伝馬船のあとをしたっておよいだりもぐったりして、沖の的矢丸までついてきた。
 的矢丸の長谷川《はせがわ》船長は、ほろりとしつつ、いった。
「野生のアザラシでも、こんなになつくのですなあ。はじめて知りましたよ。これはいい報告の材料になりました」
 夕方、的矢丸は、ようやくふきつのった風に帆をはって、本部島をはなれた。われら十六人は、目になみだをいっぱいためて、いつまでも、このなつかしい島を見送った。
 ミッドウェー島に、うつり住むとばかり思っていた十六人は、思いがけなくも、そのまま的矢丸で、航海をつづけることになったのだ。それには、つぎのようなわけがあった。
 はじめ、私たちが救いをたのみに的矢丸に漕《こ》ぎつけたとき、
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