と、手まねきをすると、まず運転士が、私の引く索につれて、やって来た。そして、水夫長と、元気な会員の川口と、泳ぎの達者な帰化人の父島《ちちじま》が、つぎつぎに船にやって来た。そして、手近なうく物を海へ投げこむと、ざあっ、と岩の方へ流れて行く。岩の方では、それを待ちかまえて、一つ一つひろいあげ、波にさらわれないように、 岩のまんなかに運ぶのが見える。うく物は、索道ではこぶ必要がないのである。
 食糧品をだそうとしたが、船底にちかい糧食庫は、すでに海水がいっぱいになってしまって、はいっていけない。料理室に、米が一俵あった。これは、料理当番にあたった者が、前の晩、朝飯の用意に、下からかつぎ出しておいたものだ。そこで、これをぬらさずに、岩におくる方法を考えた。
 米俵のまま、二枚の毛布につつみ、その上を、雨合羽《あまがっぱ》でよく包んで、大きな木の米びつにいれてしっかりふたをした。またその上を、防水の油をぬってある、帆布《ほぬの》でつつみ、しっかりと索でしばって海に投げこむと、うまいぐあいに岩にとどいて、米はぬれなかった。
 つぎに、ぬれ米を一俵さがしだした。入れて流す箱がない。そこで、俵が破れぬよう、帆布でつつんで索でしばり、これに、石油の空缶《あきかん》二個をしばりつけ、空缶の口には、ぼろきれの栓をした。空缶は、俵のうきである。うまく岩にとどきますようにと念じて、海に投げこむと、これもぐあいよく、すうっと岩にとどいた。これで、石油缶二個は、ぬれ米一俵をうかす力があることが、わかった。
 船にいる私たち五人は、いさみたった。
「よし、石油缶をあつめろ」
 と、石油缶を、方々からあつめた。船には、かめやふかの油を入れるため、石油缶がたくさんあるのだ。
 いろいろの物を、石油缶にしばりつけては、海に投げこんで、岩に送った。井戸掘道具の、つるはし、シャベル。それから、のこぎり、釜《かま》、双眼鏡、毛布類、帆と帆布。索をたくさん、料理室に出してあった食糧品などは、石油缶が、みんな岩に送ってくれた。
 しかし、品物がとちゅうで落ちて、石油缶だけがいきおいよく岩についたものもあった。斧《おの》、鍋《なべ》などが、そうだった。いずれも島生活には、なくてはならぬ品なので、みんな、じつにがっかりした。
 糧食庫の水をもぐって、もぐりのとくいな父島が、かんづめの木箱をひき出した。あまいものがす
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