それは、龍睡丸の乗組員の、礼儀正しいこと、品行も規律も正しいこと、全乗組員が、一てきも酒を飲まぬことであった。
 世界中の海員の親友は、酒である。外国人は、みんなそう信じていた。ところが、龍睡丸の連中《れんじゅう》が、酒と絶交している事実を見せていたのだ。外国人は、このことに、まったくびっくりしてしまったのである。
 ちょうどこの時、ホノルルの港には、アメリカの耶蘇《ヤソ》教布教船が、碇泊していた。この船は、キリスト教をひろめるための船で、南洋方面へ行く用意をしていた。そして、船の仕事が仕事なので、品行の正しい、禁酒の海員をほしがっていた。しかし、世界中に、そんな海員がいるはずがない。こう思いこんでいるところへ、龍睡丸乗組員のひょうばんである。そこで布教船では、龍睡丸の乗組員の、運転士をはじめ、水夫、漁夫までも、じぶんの船へ引っぱろうとした。
 そしてかれらは、
「龍睡丸のような船では、また遭難するだろう。こんどは助からないぞ。月給は安いだろう。食物は麦飯か。気のどくなことだ。ところが布教船では、毎日、三度の飯は洋食だよ。月給はうんと高い。そのうえ、制服と靴と帽子が、年に四回もでる。船は大きくてきれいで、部屋は一人部屋だ。風呂《ふろ》は毎日はいれるし、水はふんだんに使えるんだ。航海は、しけ[#「しけ」に傍点]知らずの碇泊ばっかり。それに、お説教が毎日きかれる。どうだ、龍睡丸から下船してしまえ。こっちへ来れば、毎月、国もとへ送金ができる。親孝行になる」
 こんなことをいっては、龍睡丸乗組員の心を、動かそうとした。しかし、われら十六人の心は、びくともしなかった。
 これがまた、ひじょうに外国人を感動させ、「龍睡丸乗組員は、世界の海員のお手本だ」といって、日本領事館に、龍睡丸の義捐金を申しこんだり、品物の寄贈を申しこんできた。
 領事は、
「御好意はありがたいが、船の修繕は、日本人だけですることになっているから、金銭はお受けしません。品物だけは、龍睡丸へ送りましょう」
 と、外国人の義捐金は、きっぱりとことわった。
 こうして、船の修繕は、順調にすすんで、いよいよ四月四日、出帆ときまった。

 二週間まえの龍睡丸は、折れた帆柱、はさみをなくしたカニのように、錨をうしない、水タンクはこわれて、傷だらけな、みじめな船として、入港したのであったが、今は、新しい帆柱が高くたち、錨
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