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学用品
島生活に、だんだんなれて、時間にゆとりができてきた。そこで、六月の中ごろから、学科時間を、午前、午後、一日おきに入れた。
練習生と会員、それからわかい水夫と漁夫のために、船の運用術、航海術の授業を、私と運転士が受け持った。漁業長は、漁業と水産の授業と、実習を受け持った。このほかに、私が数学と作文の先生であった。
学用品には苦心した。三本のシャベルを石板のかわりにして、石筆には、ウニの針を使った。島のウニは大きい。くりのいがのような針の一本は、大人の小指くらいもあった。はじめは赤いが、天日にさらしておくと、まっ白になって、りっぱに石筆の代用となった。これでシャベルの石板に、みじかい文章を書き、計算をした。
習字は、砂の上に、木をけずった細いぼうの筆で書かせた。
練習生二人には、帰化人三人に、漢字を教えさせ、帰化人には、練習生と会員に、英語の会話と作文を教えさせた。
だから、なにかのつごうで作業のすくないときは、まるで学校のような日もあった。一週に一度、私が一同に精神訓話をした。
「インキがほしい」
と、私がいった。
水夫長が、万年灯《まんねんとう》にたまった油煙をあつめて、米を煮たかゆとまぜて、インキのようなものをつくった。そして、海鳥の太い羽で、りっぱな羽ペンはできたが、インキは役にたつものではなかった。
漁業長が、カメアジの皮を煮つめて、にかわをつくって、水夫長のインキにまぜて、とうとうりっぱなインキができあがった。このインキは、水に強く、帆布に文字を書いて海水にひたしても、消えない。
そこで、帆布を救命|浮環《うきわ》にはりつけ、その帆布に、このインキで、
「パール・エンド・ハーミーズ礁、龍睡丸《りゅうすいまる》難破、全員十六名生存、救助を乞《こ》う」
と、日本文で書き、おなじ意味を英文で書いて、伝馬船《てんません》で沖にもっていって、
「われらの黒潮よ、日本にとどけてくれ。――救命浮環よ、通りかかった船にひろわれてくれ」
と念じて、人目につくよう、帆布の小旗を立てて流した。
「インキよ、何年、波風にさらされても消えるな。――文字よ、いつまでも、はっきりしていてくれ。人に読まれるまでは……」
十六人は、この救命浮環とインキに、大きな望みをかけていた。
インキができたので、帆布に日記を書きはじめた
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