ことを、少しずつ研究していくうちに、いうにいわれぬ、おもしろさがわいてくるのであった。
 そして、漁業長の説明によって、実物教育と、研究の指導を受けて、たいへんな勉強になった。漁業長と、その助手の小笠原《おがさわら》老人は、この美しい珊瑚礁の海いったいを、われらの標本室《ひょうほんしつ》といっていた。この二人は、太平洋を、じぶんのものと思っているらしい。少なくとも、本部島や宝島付近は、じぶんのものときめていた。
 ここでつった魚は、イソマグロ、カツオ、カマス、シイラ、赤まつ鯛《だい》、白鯛、ヒラカツオ、カメアジなど、多くの種類で、ときどきは、長さ二メートル、太さ人間の足ほどもある海蛇や、尾のなかほどに毒針のある、アカエイも、つり針にかかった。ふかもたくさんいたが、ふかはつらなかった。
 浜べには、貝が砂利《じゃり》のようにうちあげられていた。名も知らぬ幾百種類の貝は、大博物館の標本室いじょうである。そして貝類も食用にした。ウニ、タカセ貝、チョウ貝などをよくたべた。
 島の波うちぎわには、白い珊瑚がくだけてできた、雪のような砂が、ぎらぎらとてりつける日光に、白銀のようにかがやいていた。
 そこには、いろいろの色どりの、大小のカニがいた。珊瑚のかたまりのかげには、緑色のカニで、鯨が潮をふくように、水をふきだすのもいた。静かな夜に、ぐぐぐぐ、と、鳴くカニもいた。いちばん大きなのは、暗くなって、鳥の目が見えなくなったとき、海鳥のアジサシのひなを、大きな釘《くぎ》ぬきのようなはさみでつまんで、せっせとじぶんのあなに運んでいく、匪賊《ひぞく》のようなカニもいた。
 われわれが、この無人島にいた間、さびしかったろう、たいくつしたろう、と思う人もあるだろう。どうして、どうして、そんなことはなかった。
 空にうかぶ雲でさえ、手をかえ品をかえて、われらをなぐさめてくれた。雲は、朝夕、日にはえて、美しい色を、つぎつぎに見せてくれた。とりわけ、入道雲はおもしろく、見あきることがなかった。
 雲の峯《みね》は、いろいろにすがたをかえた。妙義山となり、金剛山となった。それがたちまち、だるまさんとなり、大仏さんとなった。ある時は、まっ黒いぼたんの花のかたまりのような雲が、みるみる横にひろがって、それが、兵隊さんがかけ足をするように、島の方に進んでくると、沖の方にはもう雨を降らし、うす墨の幕がたれ
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