太平洋へきたりするのだ。
 大昔、西洋人は、
『フジツボは、船の進行をとめるまものだ』
 といった。それは、船長もいわれたように、この貝がたくさん船底につくと、船の速力が出なくなるからだ」
 天幕の中で、流木の丸太に腰かけて、ねっしんに話をきくはだかの生徒。空箱の椅子《いす》に腰をおろして教えるはだかの先生。机も、黒板も、紙も鉛筆も、なんにもない無人島教室に、こうした学科が進んでいった。

   塩をつくる

 食物に味をつけたり、魚をたくわえたりするのに、塩がほしかった。料理当番も、たべる方も、
「魚の塩焼ができたらなあ――」
 と思うのであった。
 これは、できないことではない。
「塩をこしらえよう」
「では、どうしてつくるか」
 みんなのちえをあつめてみた。
 まず、天日製塩法《てんぴせいえんほう》がある。これは、太陽のてりつける砂浜に、海水をまき、水分を蒸発させて、塩をとるのであるが、島の砂は、白|珊瑚《さんご》のくだけたものであるから、まっ白である。これに反射《はんしゃ》する日光は、目をぐらつかせるほどであるが、日中、はだしで砂の上を歩いても、足のうらが熱くない。白い色は、熱をすいとらないからだ。この砂の上に海水をまいて、天日でかわかしても、とても塩はとれまい。そこで、
「こんど見つけた宝島の、たきぎを使って、海水を煮つめて塩をとろう」
 ということになっな。
 いろいろくふうして、傾斜した長い大きなかまどを、珊瑚のかたまりできずいた。
 細長いかまどはおくの方を高くして、その先に煙突をつけた。その長いかまどの上に海水を入れた石油|缶《かん》を、一列にならべ、かまどの口もとで火をたくと、おくの方までじゅうぶんに火がまわった。
 宝島から運んできたたきぎを、山とつんで、まる一日たきつづけた。ところが、たいせつなたきぎをうんとたく割合に、できる塩がすくない。
「これではしかたがない。――どうしよう」
 ひたいをあつめてそうだんした。漁業長が、いいことを考えだした。
「海綿の大きなのを集めて、海水をかけ、天日にかわかしては、また海水をかける。これを、いくどもくりかえして、しまいに海綿が、塩分のたいへんにこい汁をふくむようになったとき、その海綿からしぼり出した汁を煮つめたら、いいと思う」
 というのだ。
「これは、すばらしい考えだ」
「新発明だ」
「では、きょうの
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