ん》の、太い鎖のついた大錨が投げこまれて船は止った。
 そこですぐに、伝馬船《てんません》を、大風にさわぎだした海におろして、索の切れた錨の、引きあげ作業をはじめた。それは、錨には、大きな浮標《うき》のついた、丈夫な索がしばりつけてあって、錨索が切れても、この浮標の索を引っぱって、錨をあげられるようにしてあるのだ。
 伝馬船の人たちは、錨をあげようと、一生けんめいに働くけれども、あがらない。二つの錨は、岩のわれめにでも、しっかりとはさまっているのであろう。大西風は、いよいよふきすさんでくる。波がだんだん大きくなって、伝馬船の人たちは、波をあびどおしで、作業をつづけるのはあぶなくなったので、錨の引きあげは、とうとう中止した。
 しかし、ふかつりの方は成績がよく、三時間も錨作業をしているうちに、二メートルもある大ふか数十尾を甲板につみあげた。
 大西風のふきつづくうちに、時はすぎて、午後四時ごろとなると、どうしたことか、急に、船が流れ出した。
 錨の鎖をまきあげてみると、錨がない。鎖は、錨にちかいところから切れていた。なんという、錨に故障のある日であろう。七時間に、小、中、大、三個の錨をなくしてしまったのである。
 こうなってはしかたがない。帆をまきあげて、避難の帆走をはじめた。大風にくるいだした大波は、船をめちゃめちゃにゆり動かし、翌、十八日の夜明けごろには、前方の帆柱《ほばしら》の、太い支索《しさく》がゆるんでしまった。しかし、仮修繕はできた。
 大西風は、いよいよ猛烈にふきつづいて、その日の夜中に、前方の帆柱は、上の方が折れてしまった。そして、甲板の下では、飲料水タンクの大きいのがこわれて、水がすっかり流れ出して、小さなタンク一つの水が、十六人の、生命の泉となってしまったのである。
 総員は、ふきすさぶ大風と、大波にもまれながら、夜どおし、帆柱の仮修繕に働いて、夜明けに修繕はできあがったが、今はもう、追手に風をうけて走るより方法がない、そこで、東北東に向かって船を走らせた。
 大西風は、一週間もふきつづいて、二十四日正午には、新鳥島から、数百カイリも東の方、くわしくいえば、東経百七十度のあたりまで、ふき流されてしまった。
 もう、海賊《かいぞく》島の探検《たんけん》どころではない。日本へ帰ろうとすれば、この大西風にさからって、千カイリ以上も、大風と大波とをあいてに
前へ 次へ
全106ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
須川 邦彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング